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あけましておめでとうございます。
皆様に会報をお届けさせて瑣くのも、はや3度目となりました。従来は11月の開業月に発行致しておりましたが、なんとなくお正月のほうがよいように思え、本年度より年頭のご挨拶の心を込めまして、この時期にお送り致します。 咋年度はサロンが大きく飛躍した年でございました。3年目ということもあり、おかげさまで段々とサロンの持ち味を知る方も増え、忙しく過ごさせて頂きました。 昭和のおわりから新しい年号平成のはじめに、サロンでなにが催されていたか、という記録がここにあります。1989年。この年は後世の歴史家が顧みれば、大きな歴史の節目を発見せずにはいられないと、思われるほどの、たいへんな年でございました。 手塚治虫、ローレンス・オリヴィエ、ヘルベルト・フォン・カラヤンなど、それぞれの分野の時代を背負った巨人たちがあいついで没し、現代の文化の支柱が急激に失われていったような気が致します。 激変は文化の面にとどまりません。地球上のあちこちで山が噴き地が揺れ動き、大きな災害をもたらしました。また、人が人をあやめ、踏みしだく事件にも心がしめっけられる思いが致しました。天安門にたおれた若者たちの意志がのりうつったように、東ヨーロッパが大きく変わっていきます。どれほどの厳しいたたかいを経なければ自由を手にいれることができないのか。そして手にいれているはずの私たちの国が、どれほどおぞましい面を露出しはじめているのか。 あるいは、なにもかもが幻だったのかもしれません。東と西を問わず人々の願いや祈りは変わらないはずなのに、どうして同じ愚行ばかりがくりかえされているのでしょう。 いろいろなことを感じ考えつつ、サロンの1年も歴史のうねりに身をゆだねたように、世界史の文脈において見るべきイベントに充たされていたようでもあります。文化芸術は私のものでありあなたのものであり、それだからこそまっすぐに世界中の人の胸を打ちます。ニンークルメル氏のスペインの歌、デルガド氏のアルゼンチンの音、ヤナーチェク弦楽四重奏団のせつなく舞い上がるチェコの曲。三宅榛名氏のうたも。つきつめられ迸りでた未来へむけての日本のうたでした。 音楽会のみではありません。さまざまな講座や展示会などのひとつひとつが得難い出会いと感じました。芦屋という小さな街に出発させて頂いたサロンではございますが、当初の思惑をはるかに越えた移りゆきとなりました。はじめの頃よりお見すてなくお見守り下さった皆様のおかげと、衷心より感謝致します。
■メンバーズーイペント
昨年をひとことでくくると、「女性の年」と名づけることができそうです。 女性の感覚、女性の論理を無視し続けては、不倒とみずから信じていた政権政党さえ存立が危ぶまれることとなりました。男の感覚、男の論理が根底からぐらりと揺らいだのです。揺らがざるを得ないときがくることについては、訳がありました。 村山リウ先生が声低く、しかししぶとくしたたかに語り続けてこられたことに、それは明らかにされています。人の世とその移り変わりについての、おそるべき観察者であり観察者であり、しかも明敏な予言者でもあった紫式部は、先生のときがたりによってまさに現代に息をつなぎ、さらに末来をも語りつぎます。 昨12月で、惜しくも区切りをついてしまいましたが、お近くのことでもありますし、なんらかのかたちで、今後も先生をサロンにお迎え致したく思っております。 昨秋先生は県の文化賞を受賞されました。そのお祝いの会を盛大に開きました。先生を心からお慕い申し上げる方ばかり、100名余の宴でございました。
社交ダンスはひとりでは楽しめません。女性ばかりではつまらないし、男だけでも皆帰りたくなってしまいます。世の中には男と女がいて、ときどきは意見が違うこともあるけれど、やはりお互いがいて生きることがたのしい。ダンスは、だから人間の自然の心の動きをそのままに映しだします。よろこびも憂いも、そしてはげしい情熱さえここにはあります。ユーモアもコケットリーも洒落っ気も、洗練されつくした優雅な動きのなかに封じこめられています。平和な時代に人は踊ります。危機の時代にも踊るとすれば。人は束の間の平和を求めてやまないのです。 岩永先生とそのファミリーはいつも微笑みをたやさず、会を盛りたてて下さいます。本年も毎月続く予定でございます。
文楽協会にご協力を頂いてのこの催しは、咲大夫師ともう一人、という形でのトークショーを開いてまいりました。 1月 永六輔氏。4月 中村勘九郎丈。9月 山川静夫氏。 文楽公演や、相手の方の忙しいスケジュールをぬっての企画だっただけに、昨年は3回にとどまりました。文楽をはじめとする古典芸能について、あれやこれやの意見が活発に交わされました。どの方もプロのなかのプロ。ことば応酬がそのまま芸となり、客席は沸きました。永氏の冴え、勘九郎丈の天性、山川氏の博学を咲大夫師がみごとに引きだし。楽しい時間となりました。4月の会には奈河彰輔氏(’88年度にお世話になりました)もゲスト出演され、ひときわ盛り上がりました。本年も続けて企画中です。
人の世はかわっても野山の草花はかわりません。淡斎先生はいつどの山に行けばどの花が咲いているのか、精確にご存じです。野の花の偉大さをいつも感じます。独自の径を歩まれる先生には世俗の欲念とは無縁のように見え、偉ぶりや尊大さなど、さらに先生の体の外にあります。先生はいつも笑っておられます。 野山の花は多種多様です。人に栽培されたのではない、途方もない豊かさに支えられた清冽な美しさに、どんなに小さな花でも輝いています。花でも人でも、美しさは同じように現れてしまうのでしょう。 淡斎先生著の大冊「茶花」がこのほど刊行されました。何年もかけられた力作です。この会も本年も続く予定でございます。
■山村サロンコンサート
サロンの音楽会は色々なかたちで行われています。昨年からこの名を冠したコンサートは、企画委員に林達次、奥村智美、浦山弘三の諸先生をお招きして、夏から始まりました。年3回から4回をめざし、長く続けてゆく所存です。
7月 ホアキン・ニンークルメル(スペイン/アメリカ在住) スペイン民謡を素材にした自作「ピアノ・トナーダス」。 お話をまじえたレクチャー・コンサート 10月 エドワルド・デルガド(アルゼンチン/アメリカ在住) ヒナステラ、グァスタビーノ、タウリエロなど、アルゼンチンの現代音楽をメインに置い たプログラム。
いずれもピアノ・リサイタルでしたが、先生がたのおかげをもちまして盛況におわりました。 作曲家でピアニストのニンークルメル氏は作家アナイス・ニンの実弟でもあり、アナイスを研究されている方も遠方(たとえば札幌)からお越しになりました。デルガド氏もまことにユニークなピアニストであり、スタインウェイをフルに使った自信にみなぎる音楽を奏でられました。 サロンの音楽会、ほかに「ETWAS NEUES 」というシリーズや、私個人の主催のもの、そして会場をお貸しして、というようにいろいろあります。それらのことは別項にまとめます。
昨春、このタイトルで、NHK学園のご協力により3つの講座を開きました。 猪熊兼勝氏 「古代の生活」 遺蹟や文化財にみた古人のくらし。 犬養孝氏 「万葉のこころ」 万葉集のことだまにみる古人の心。 本田節子氏 「朝鮮王朝最後の皇太子妃〜梨本宮方子女王」
昨年は藤の木古墳や長屋王邸跡で貴重な史料が発掘された、古代史の年でもありました。豊富なスライドを見せて頂きながらの古代人の生活ぶりのお話には興味深いものがありました。 犬養先生の万葉集講座はいまでは知らない人の方がめすらしいほどです。ひとつのことだけを倦まずたゆまず深めてこられたのです。底光りするご講義でした。 李方子さんの御葬儀の翌日、韓国から帰ってこられたばかりの生々しいお話には迫力がこもり、数奇な運命にもてあそばれたひとりの女性の生に打たれました。この日、サロンは歴史の現場にたたずんでいたのです。
じつに渋いシリーズです。一昨年から年4回見当で開催致して参りましたが、講壇に立たれたどの先生も強烈な個性を放射されました。なかんずく宮大工西岡常一氏の壮者をしのぐ覇気には壮快なものを感じました。ものすごい人物です。 郷土玩具を長期間にわたり集めてこられ、博物館の館長となられた井上重義氏、中国本土や台湾に足しげく通うなかで中国煎茶の妙味を窮められた采薇庵 中嶋典央氏、上方芸能に精通された作家三田純市氏、そして昨年しめくくりの和菓子に半生を傾けてこられた「末富」山口富蔵氏。 いずれの先生にも共通するのは、この道にかけては、という一歩も引かぬ自負心であり、学者や芸術家というよりは生一本の騷人の魂でした。純粋な技の世界では、一切のまやかしが通じません。日本の伝統美は、ともすれば「わび、さび」のうわべの理解による雰囲気としてとらえられがちですが、じつは技芸そのものの凛冽な修錬に重きを置いていることを忘れてはならないと思います。おかしみや軽み。そしてさびしさ。まことに稀有のものといえる先人の遺した文化は、もっと生活そのもののなかで語りつがれてゆくべきと感じます。おりしも千利休400年忌。彼はどんな人だったのでしょう…
■山村サロンのコンサート
「フランス音楽へのプロムナード」と題されたラモー(1683生)からメシアン(1908生)までのフランス音楽の小品をならべたプログラム。メシアンとパリ音楽院で同窓であり、レジオン・ドヌール勲章も受賞されている老巨匠のピアノは、ひとつひとつの音が粒立ち美しくかがやき、みずみずしい光に音楽がくまなく照らしだされているようでした。 厚いご協力を頂きました安田信子先生、池田洋子、片岡みどり両先生に感謝致します。
イベール、シューベルト、ヴィラ=ロボス、テデスコなど。日曜日の午後、お茶とお菓子付きといった趣向の音楽会でした。若い女流のいきのいいフルートと実力派のギターによる合奏は無類に楽しく、舞台映えもはなやかなものでした。ギターソロのヴィラ=ロボスが忘れられません。冒頭の音が鳴ったとき、不覚にも涙がこぼれてしまいました。いかなる感傷がそのときの私にあったとも思えません。真実がぶつかってきたのです。この上なく武骨に。
ピアノ・司会に戎洋子氏、ゲストに田原祥一郎氏を迎え、第一回マリオーデル・モナコ・コンクール第一位に輝いたソプラノ歌手のディナー・コンサート。花外楼洋食部、井上和男料理長の腕によりをかけたイタリア料理とイタリアオペラのアリアなどを存分にお楽しみ頂きました。秋定氏の歌声は、無声の息を含めて、人生の劇を実感させるすばらしいものでした。イタリア各地で何度も主役を歌われてきたヴェルディ、プッチーニのほかにトスティ、イタリア民謡も。
奈良氏はフランス歌曲国際コンクールで芸術文学特別賞受賞、昨年のパリ公演ではユマニテ紙において絶賛されたソプラノ歌手。大阪に住まれる戎氏とは年来の友人同士でした。独自のものを持たれる奈良氏の声に、戎氏のピアノが敏感に応じ、ときには美しい火花が場内を照らしました。アンサンブルの妙味がここにはありました。
ピアノの伊藤京子氏と朗読の幸田弘子氏の斬新なステージ。ショパン:ノクターンOp.27-2、スケルツォ Op.31を経て、アナトール・フランス「聖母の軽業師」の朗読。特別ゲスト藤原真理氏によるバッハを一曲。そしてサティのピアノ作品にのせて宮沢賢治「よだかの星」の朗読。ひたむきさが当夜のステージに流れていたテーマでした。聖母マリアの前で必死に軽業を演じた軽業師。ついに天の星となって輝いた、みにくい夜鷹の切なる想い… まことに忘れがたい感銘を残した夜でした。孤独の深さと、無辺の愛と、表現への情熱と。
1986年ハンガリー文化省よりリスト記念メダルを受賞、現在東京芸大助教授の渡辺健二氏は国際的に活躍される気鋭のピアニストです。前回サロンで行われたときよりもさらにスケールの大きい音楽を奏でられました。テンポ、フレージング、ダイナミックのすべてに磨きがかけられ、細部を磨けばみがくほど、かえって雄大な人間の歌が湧きあがってくるのでした。バッハ=ブゾーニ、ラフマニノフ、バルトーク、リスト。アンコールで演奏されたシューベルトも、かつて聴いたことがない海のように豊かな「即興曲」でしだ。お世話頂きました石本律子先生に感謝致します。
円熟のソプラノ歌手によるディナーコンサート。ゲストにバリトンの木村俊光氏を迎え、ワーグナーとモーツァルトのオペラから。これはさすがに聴きごたえがありました。ほかに日本の歌やJ.シュトラウスなど。ピアノとお話は青島広志氏。大いに楽しく座を盛り上げて下さいました。「風に色をぬりたいな」という青島氏の作品も歌われました。井上シェフの料理も「酸味のおいしさ」をみごとにきかせた「鮎の青じそ包み銀紙焼き」が印象に残りました。
「カーニバルがやってきた」と題されたこの上なく心たのしいコンサートでした。プログラムはすべて平吉氏の作品。「こどものためのピアノ曲集」より。幼稚園児や小字生もステージに上り、廣瀬・平吉両先生と連弾させて頂きました。 神戸生れの平吉氏の作風は明るくハイカラで、垢抜けたノンシャランスな風が吹いています。高校時代から氏に師事してこられた廣瀬氏も師の多趣味を継がれ、車の話が出ると、とどまる所を知りません。浅井康子、戎洋子の両ピアニストが、連弾1曲のために駆けつけて下さいました。
堀内信彦氏(クラリネット)、俣野由美氏(ヴィオラ)、森美加氏(ピアノ)による室内楽の夕。モーツァルト「ケーゲルシュタットートリオ」、コダーイ、バルトーク、ブルッフ「クラリネットとヴィオラのためのドッペル・コンチェルト」。 三重奏でもこれらの楽器の組み合わせはめずらしく、プログラムも独特な音色美をみせる佳曲が並びました。モーツァルトはクラリネットの生かし方がおもしろい作曲家でした。バルトークにもクラリネットやヴィオラを使った忘れがたい音楽があります。演奏は実力者ぞろい。無類の楽興の時でした。
声楽とギターのコンサート。ダウランド、シューベルト、ブリテン、ヴィラ=ロボス、ウォルトン。マンハッタン音楽院を首席で卒業され、欧米で10数年間活躍されてきたキャリア豊かなソプラノ伊藤叔氏の歌声は、まことに人間味あふれるものでした。たとえば冒頭の「甘き恋よ、もう一度」など、若いソプラノには絶対にかもしだせない味が込められていました。福田氏のギターも自在感にあぶれ、自ら楽しんで奏くことがことごとく聴衆の耳を楽しませる結果となりました。
高橋悠治「さまよう風の痛み」「はしばみ」、三宅榛名「卷上公一の詩によるソング集」「たとえば水」「西脇順三郎の詩によるソングサイクル」。ピアノとシンセサイザーが三宅榛名氏。ヴォーカル、トランペットなどが巻上公一氏。 学生のころから三宅氏の音楽にひかれ、一昨年の春はじめてサロンにお呼びし、またひかれてこのコンサートをお願いいたしました。鮮烈きわまりない現代の音がどうしようもなく耳になつかしく響きます。時代を拓く果敢な魂にかぎりなく共感をおぼえるからです。はじめに演奏された高橋悠治氏の曲もかなしいまでに美しく、ヴォーカルの巻上氏はステージへの出の所作などに卓抜な演劇的センスを感じさせました。
■邦楽の会から
常磐津小清氏は市内在住の師匠です。「千代の友鶴」、亡母上を偲ばれての「奥州安達原」を経て、お家元の御挨拶。そして「松の名所」「将門」から「うつぼ」「角兵衛」にいたる11曲。三味線も語りも独創的な閃きを随所に感じさせる力強いものでした。
尚山舞とは松本尚山先生の振付による舞踊で、長唄、端唄、小唄、民謡、地唄、箏曲、常磐津などに合わせて舞われます。「お祝儀寿」松本尚常氏にはじまり、「初時雨」松本奉山氏、「老松」松本尚丈氏まで、全19曲。松本奉山氏、傘寿とのこと、おめでとうございました。
大槻文蔵先生門下の小泉禎子氏らの素謡、仕舞、独吟、連吟などの会。「鶴亀」「巴」「東北」にはじまり、仕舞「茹慈童」「草子洗小町」「邯鄲」など。素謡「高砂」まで全28曲、終了後は、お料理を取られ、なごやかに新年会。
フェスピック神戸大会協力の、神戸ゾンタクラブ主催による催し。原笙会を主宰される原笙子氏による源氏物語にみる舞楽。「源氏物語」「十二単衣衣紋(着付け)」「乙女の卷『五節』」「胡蝶の卷『胡蝶』」。実にあでやかなものでした。原氏は芦屋舞楽会の指導者であり、「不良少女とよばれて」の作者として文筆、講演も盛んに行なわれています。
芦屋市婦人会々長でもあられる広瀬忠子氏らが中心となり、芦屋市、市教委のご協力により、ほぼ毎月この名の催しがサロンで開かれることになりました。 「狂言というお芝居」(講演) 茂山千之丞 狂言「蝸牛」山伏 茂山正義 主人 茂山あきら 太郎冠者 茂山千之丞 当代一流の演者による舞台は、さすがに張りつめた心地よい緊張のなかに、なんともいえない人間のおかしみを漂わせます。この日は深田大使をお迎えするなど来實席もはなやかなものでした。別項にありますように月々ヴァラエティーに富んだセミナーです。アイル・モレ花外楼のお料理をお楽しみ頂きながらのこの会のことを、とりあえず「邦楽」の項で御紹介させて頂きました。
大江将董、上野朝義、牧野和夫、赤井啓三、林光寿、山本孝、三島元太郎の諸先生による、サロン能舞台を使った講座でした。笛、小鼓、大鼓、太鼓からなる能鑵子の響きを楽しむとともに、能の基本的な演技や装束、能面なども紹介され、能の様式美の一端を体験させて頂きました。生の迫力はすばらしいものです。
柿原崇志先生門下の大鼓の会。笛:赤井啓三、小鼓:成田達志、太鼓:三島元太郎の諸先生とともに、「屋島」「草子洗小町」「小袖曽我」にはじまり、「歌仙」「駒之段」「融」までの全16曲。サロンの催しによくお越しになる安居節子様、谷川敞子様、西居咲子様もご出演なさいました。「西行桜」などを山村つね子が打ちました。終了後はなごやかにご宴席。
長唄と常磐津の二人会。長唄「秋の色種」、唄:今藤長之、杵屋禄三、三味線:芳村伊十七、上調子:今藤美治郎、常磐津「戻橋」、弾き語り:常磐津小清上調子:常磐津美佐季、長唄「綱館之段」、唄:今藤長之、杵屋禄三、三味線:芳村伊十七、杵屋禄宣、今藤美治郎。司会:龍城正明。 司会の同志社大学助教授龍城正明氏は常磐津小清氏の夫君であり、今藤長之氏のご友人でもあります。心と心がぶつかりあった素晴らしい会でした。今藤長之氏の美声にはことばを失いました。常磐津小清氏の、声と三味線の変化に富んだドラマには固唾を飲んで聴き入りました。この会のために、東京からわざわざ駆けつけて下さったお客様もありました。
善竹孝夫先生主宰の竹節会(ちくようかい)の楽しい会。「茫々頭」「伊呂波」「雁?」にはじまり、善竹忠亮、隆平、忠重氏らの小舞をはさんで、「茶壺」「神鳴」祝言「福の神」までの全15曲。メンバーの井口泰三様も「末広がり」の果報者を演じられました。終了後はなごやかにご宴席。
藤井久雄先生門下の素謡、連吟、独吟、仕舞、独鼓などの会。「賀茂」「清経」「江口」にはじまり、「卒塔婆小町」「籠太鼓」などに終わる全21曲。サロンの村山リウ先生のご講義に欠かさずお越しになる法林睦子樣、能木場千代樣、山崎みや樣もご出演なさいました。連吟「羽衣」と仕舞「隅田川」に山村つね子が謡い、舞いました。終了後はなごやかにご宴席。
■いろいろの催物から
桜花爛漫の季節、外海貞子氏の御紹介により、この展示会を開きました。会場は和服に身を装われた女性にあふれ、みやびやか、ということばを使いたくなる陶酔的な一日でした。創作にも収集にもお二人の人となりを偽らずに映し出しています。岡崎智予氏の櫛かんざしについての講演もございました。また、5月3日の「布の心」の新井淳一氏は岡崎氏のお知り合いでもありました。
河合順子氏主宰の西洋磁器絵付け、わかりやすくいえばコーヒーカップやティーカップなどに模様を入れたものの展示会です。サロンでは2度目の開催。作り手もお客様も心やさしげな女性が多く、このお集まりがいつまでも続けば、と願わずにいられません。食器がなぜ美しくなければならないのか。その問いに対する、理屈ではなく、すごく繊細な真実に充ちた直接の解答がここにありました。
ボルテンシュテルン氏はウィーンの宝飾デザイナー。国際的に数々の賞を受賞され、チェリストとしても活躍しておられます。ガラスケースに作品が収められると場内の空気が一変し、その向こう側に氏と美しい奥様が立たれると、サロンはウィーンになりました。永峰豊樹氏と弟様、その奥様に感謝申し上げます。
サロンではこれも2度目の催しです。それはそれは噎せかえるほどの花のにおい。絢爛たる秋の花ばなの豪華な饗宴。1年半に一回ということで、力作揃い。会場には諸泉陽子先生もおみえになり、終会後はなごやかに会食を楽しまれました。
4月に単独で「淡斎作品展」をお開きになった加藤淡斎先生のお呼び掛けで、各地の陶芸作家の作品が持ち寄られました。それに淡斎先生がお茶花を入れられて、という展示会でした。陶芸作品を出展されたのは、市野豊治、鬼丸碧山、坂高麗左工門、坂倉新兵鵆、沢清嗣、田原陶兵衛、高橋楽斎、高木岩華氏ら24名。
その他まだまだありました。音楽会も、ピアノや声楽の発表会があり、それぞれに楽しい一日。各先生がたにお礼申し上げます。 結婚披露宴もございました。サロンで巣立たれた皆様、どうぞお幸せに………
(そうそう。この号では昨年10月までのイベントを扱うことになっていましたが、ついあちこちで先走りしています。11月10日ヤナーチェク弦楽四重奏団は、本番前わずか1ヶ月に決定したコンサートでした。教養サロンに書いた村山リウ先生祝賀会は12月2日です。)
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1990年 1月 1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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