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そして、「戦前」が訪れる
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照りつける陽射し。やかましいほどの蝉の声。トカゲの背中がきらりと光ると、すばやく逃げていきました。今年の夏は、いつもと同じ暑い夏です。 しかし、なにかがちがう。世の中の「影」の部分が濃くなってきています。震災から四年半の月日が経過しましたが、被災地で復旧したのはあいかわらず「駅前表通り」だけで、いくつもの地域商店街は「こわれたまま」「さびれたまま」です。自営業者のみならず、勤め人も、いつ職が失われるかわからない。みな膝を抱え込んだまま動けません。 六月の完全失業率は全国平均で4.9パーセント。近畿二府四県はそれを上回り6.1パーセントで全国最悪です。倒産、リストラなど非自発的完全失業者が118万人にも及ぶという報道には目を覆いたくなります。私も震災で職場がつぶれて、半年間は「非自発的」離職者でした。つらさがわかります。つらさがわからない、わかろうとしない多くの政治家たちは、青息吐息の市民のあえぎに無視を決め込み、数の力に任せて「ガイドライン法案」に続いて「通信傍受(盗聴)法案」「住民基本台帳法改正案」、そして「国旗・国家法案」などを次々と可決成立させようとする威勢のよさです。「憲法調査会」を衆参両院に設置することにもなりました。この歩みの速さはなんなのでしょう。小渕内閣の支持率が「上がっている」というのは、嘘だとしか思えません。
2
「戦前体制」が敷かれつつある。私の知り合いの七十歳代、八十歳代の市民の何人もがそういいます。彼らは戦争体験者。兵隊にとられて外地で戦い、帰ってきた人。憲兵に捕まったことがある人。恋人を激戦地で亡くした人。彼ら、彼女らは、あの当時の政治やマスコミの報道ぶりについてよく覚えています。あのころと「同じだ」といいます。ナチスドイツは失業者の不満を吸い上げながら勢力を伸ばしましたが、いまの日本政府は失業者を切り捨てながら「戦争体制」へ邁進します。尚食えない。職がない。明日が見えない。市民が抱いている閉塞感は、もはや救い難いものです。大きな「指導性」を持つ人物が待望されるようになれば、もう真っ逆さまにファシズムヘ転落していきます。 日本には、すべてを個人で責任を担える政治家がいるでしょうか。誰もいない。だから、そのための「君が代法案」の成立を急ぐ。『君が代め君は、日本国統合の象徴でありその地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指している。君が代とはそうしたことに基づくわが国のことであるJIとは、ようするに「日本は『天皇の国』である」ことを主張しているにすぎなくて、「主権の存する」と「国民」についての定義はあるものの、「天皇」については「日本国統合の象徴」以外にはなにも説明されていないのです。ほんとうに「総意」なのか。「天皇」とは誰なのか。 日本人には、昔から「天皇」に権威を預け、その「権威」をかさに着る人間が人の「上」に立ち「権力者」として振舞ってきた歴史があります。戦後の五十年間は、たしかにその空気は稀薄でした。天皇が政治に係わることを、歴代の政府が注意深く避けてきたからです。しかし今、「君が代法案」を通じて「天皇」が「政治」の舞台に出されつつあります。戦争のためですか。
3
私は地上の王権につながり、富と力の集中にのみ勢力が傾けられがちな「宗教」を苦々しくみつめてきた人間です。宗教国家が戦争を行なうとき、「神」が敵を殺せと命じる。 「神」が「神」のために「神様万歳」を叫んで死ね、と命じる。ことはそのような「国家的規模」だけでなく、一つの教団、一つの集団、さらには一人の人間においてさえ「神」の名の下になら、容易に人を殺します。 十九世紀後半のロシアでは、ネチャーエフという狂信的な青年革命家が率いる集団の「リンチ殺人事件」がありました。当時の青年たちは「無神論」に基づく「急進的」な革命思想に身を任せていました。ドストエフスキーの「悪霊」は、この事件を契機に書かれ始めています。ニコライ・スタヴローギンがその小説の主役です。「悪霊」スタヴローギンは、善悪美醜の基準をなくしてしまっています。 アウシュビッツや南京虐殺、広島・長崎への原爆投下、沖縄戦など、殺戮と暴虐のかぎりがつくされた百年間を経て、いま二十世紀末を迎えました。いかにも「神は死んだ」(ニーチェ)と宣言されるのにふさわしい世情です。興味深いのは、一世紀前には「神がいない」が殺人肯定の根拠になることがあったのに対し、いまの日本の少年や青年たちの中に「神がいる」から殺人を遂行する事件が目立つことです。個人的に樫造した「バモイドオキ神」をサディズム殺人の守り神にした「酒鬼薔薇聖斗」。「最終解脱者」に命じられるままに何人もの人を殺し、サリンを撒いた「オウム真理教」の青年たち。
4
「人を殺してもいい」という思想の背後には「神」あるいは「超越的」な何かがありがちです。「民主主義」「公共のため」ということばさえ、その「神」になることがあります。国家が戦争に係わる場合には、これは「神国」の「正義の戦争」であるとでっちあげられます。敗戦までの日本の「天皇制軍国主義」は、そうしたものでした。「オウム」と同じ構図です。少なくとも「王権」を担った「超越者」の「命令は絶対である」という図式において。そして、人を殺せと命じる「地上の王」は、いらないのです。 市民の声を無視したまま「法案」を矢継ぎ早に可決させていく小渕政権は、ナチスドイツに似ています。戦前の「天皇制軍国主義」にまで、一気に時計の針を戻すつもりなのでしょうか。そんなにまでしてアメリカの戦争に協力したいとすれば、世界の中でアメリ力だけが「正義」であるという「信仰」をお持ちなのか。 しかし、戦争そのものが「悪」なのであり、いかなる戦争にも「正義」はあり得ない。なんのための、だれのための戦争なのか。平和は平和的手段によってしか達成することはできません。市民は空襲に逃げまどい、銃口を突きづけられ、怒鳴りつけられ、家族や隣人を殺された記憶をいつまでも失いません。 それに「神」というなら私の「神」は、人が人を裁くごと、殺すことを許さぬ神。戦争の先頭にも背後にも、私の「神」はいない。いまの時代の課題は、規模の大小にかかわらず「人を殺してもいい」という考え方に、どう市民社会が立ち向かっていくか、です。そして、それよりも前に、個人一人ひとりが「国家」について「戦争」について、どう考えるかを深めることです。
5
主権は市民にある。それこそが日本国憲法における「神聖にして侵すべからず」原則です。「市民」がいるから「国」があるのであって、その逆ではありません。自然災害がもたらした市民の困窮には、まず国が公的な援助をする責務がある。私たちはそのためにこそ税金を納めているのではないか。地震そのものには、もちろん政府に責任はない。しかし、その後には民間からの義援金配分だけしか行なわず、その「棄民政策」の結果、孤独死や自殺者までたくさん出した被災者の「被災」については責任がある。 その考え方を一貫して「市民=議員立法」運動を続けています。震災直後は村山富市元首相の発言「個人補償はしない」が、ずっと重く「国会」全体にのしかかっていました。制度がなければ作ればいいのであって、小田実さんの呼びかけで、早川和男さん、伊賀興一さんらと四人でサロンの喫茶で話し合いながら「市民立法」の条文を決めていきました。 「市民立法」を全国会議員に郵送して、賛同を募る。そして賛同議員と意見交換を重ね、やがて超党派の議員団と私たち市民との「市民=議員立法」運動が動き始めたのでした。昨年成立した「被災者生活再建支援法」は、自然災害被災者への「公的援助」が「ない」から「ある」へ転換させた、市民運動の歴史的な成果のひとつです。しかし、時が経つにつれて、阪神・淡路大震災の被災者に適用される「附帯決議」部分の実行にさいして、所得や年齢に制限を設けすぎているなどの「不備」「不足」が指摘されました。それに、これは地方自治体の持ち寄った基金が財源になっているものです。 私たちは、やはり「国家」が直接に災害被災者を救う、細かな制限を設けない「大きな救いの仕組み」が必要だと考えました。今年の一月から新しい「市民立法」、「生活基盤回復援護法」を発表。「重要法案」で忙しい国会議員ともしばしば討議を重ねて、活動を続けています。
震災以来の四年半の「市民運動」と「サロン」(これも私が個人として展開している、市民の文化運動です)の記録をまとめた本が出ました。「大震災・声明の会」「市民=議員立法実現推進本部」の事務局として、あるいは音楽会や講演会をやる劇場として、この四年半、私個人も「サロン」も荒波に呑まれ、かいくぐりながらこの夏を迎えました。お読みいただければ幸甚です。
『自録「市民立法」阪神・淡路大震災一市民が動いた!』 市民=議員立法実現推進本部 + 山村雅治著/藤原書店刊(¥4,800 + 税)
(山村雅治 1999.8.1)
恒例の芦屋の秋のシャンソンです。なぜ、シャンソンを歌う方々がサロンを好まれるかを考えたら、広さがちょうどいいくらいだからです。シャンソンは、むやみに広い会場では空気が薄くなる。私の知る範囲のむかしの東京でも、最も広くて「銀巴里」、狭い方で吉祥寺「ベル・エポック」。田中朗さんの仕事場だった「セレクション」も決して広いお店ではありませんでした。息づかいが伝わる広さでこそ、シャンソンは生きる。 あなたはシャンソンがお好きですか。ピアフ、イヴ・モンタン、ジャック・ブレル、レオ・フェレ、ジョルジュ・ブラッサンス、バルバラなど、大歌手たちが次々に世を去っていきました。老舗の「銀巴里」も店を閉じました。ことによるとサロンは、日本のシャンソンの「孤塁」になるかも知れません。リス・ゴーティやシャルル・トレネなどのSPに聴く戦前のシャンソンも味わいが深い。<クレデンザ>コンサートでも、いずれ「定期」とは別にシャンソンを聴いていただく時間をつくりますからお楽しみに。
サンフランシスコ在住、ホーリィネームス大学でピアノを教えるとともに活発な演奏活動を行なっているクレアリー和子さんの一時帰国演奏会。サロンでは二度目になります。大阪生まれ、大阪音大卒、ボストン大学大学院卒の彼女の師は、ヨーゼフ・ホフマンの高弟ジーン・ベーレンドとブゾーニの最後の弟子エドワード・ワイスです。伝説の名ピアニストの系譜に連なる奏法は、いまの日本では滅多に聴くことができないのではないでしょうか。スタインウェイ独特の美しい音色。芯が強く、しかも珠を転がすようななめらかな打鍵。
作曲家の記念の年には、しばしばこのような気の利いた音楽会が聞かれます。私もかつてマルティヌーとウィリアム・バードの記念の年に音楽会を企画したことがありますが、ガーシュインはどなたにも身近な音楽を書いた作曲家。アメリカのポピュラー音楽を西欧音楽の技法を使って「古典」にまで高めました。生誕百年。ということは、きんさん・ぎんさんが百六歳ですから、彼女たちより年下なのですね。どの曲も「現代」の音楽として響きます。蓼原道子さんは表現力の豊かなソプラノ歌手。オペラに活躍されてきた経歴が存分に活かされていました。パートナーの片桐えみさんのピアノも息の合ったもの。ソロピアノ版の「ラプソディ・イン・ブルー」を、私ははじめて耳にしましたが、めりはりのきいた鮮やかな演奏を聴かせてくださった加藤泉さんにも賛辞を捧げたいと思います。
毎月一度サロンでレッスンをされている「ヨーロピアン・ポースレインの会」の皆さんによる作品展示会。欧風磁器上絵付、つまり洋食器に絵や模様を描きいれることですが、時間がかかる綿密な作業です。しかし、完成品は中には気が遠くなるほど美しいものがあります。受講されている皆さんは、おそらく私と同じように地震に遭って、いい食器が割れてしまっているはずです。酒屋さんの「おまけ」ばかり残っちゃって、という家がふつうです。 なのに人はなぜ、また食器に絵を描きいれるのか。生活を美しく。その一語につきるのではないでしょうか。いのちはいずれ燃えつき、かたちあるものは必ずこわれる。存在のはかなさに美を与えることが人間の文化です。
「20世紀音楽浴」シリーズは、西宮市在住の作曲家/ピアニスト・久保洋子さんの尽力でフランスの音楽家を招いてセミナーを開き、その総仕上げに音楽会を開く、という企画です。いずれの日も午後に学生たちの成果発表コンサートがあり、夕方からいよいよ先生たちの音楽会、という段取りです。久保さんは西宮・芦屋とパリを拠点にして独自の活動を展開しています。 オーリオルさんとフォーシェさんのデュオはたびたびの来演。'98年11月のリサイタルでは、久保さんがこの二人のために書いた初演作「フロリレージュ」を演奏されました。タイトルは「詞華集」の意味。外へ向かうのではなく、ひたすらに内面からきこえる音楽を書かれる傾向はますます強くなり、響きも美しく磨かれてきたようです。作曲者が願うごとく、詩的でロマンティックで繊細です。久保さんの師、近藤圭さんも毎回新作を寄せられます。「悲歌」の「悲」は、仏教の「慈悲」の「悲」であるとのこと。 '99年3月は2度目のクロード・エルフェさんとのデュオ・リサイタル。エルフェさんは、かつてピエール・ブーレーズのソナタなどを初演したピアニストとして、音楽史上に名をとどめるピアニスト。久保さんの新作「オルヌマン」(「装飾」の意)も、内面から発した音楽。肉感的にさえ響きました。近藤圭さんの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、オリジナルは合唱曲で、林達次指揮による京都ゲヴァントハウス合唱団によりドイツを中心に十数回演奏されています。日本の音素材が用いられた劇的な音楽。
久保洋子さんの「20世紀音楽浴」シリーズは、なによりも持続が力であることを示します。自らパリでも演奏し、パリの音楽家をこちらへ招くうちに、活躍の場がたとえば今夏、「ル・モンドール・ランコントル・ミュージカル」のためにオーヴェルニュヘ招かれるといった具合に飛躍的に広がりました。西宮・芦屋に拠点を定めつつ、世界に向かって存在を示し続けているのです。
井上智史さんは、野田燎さんのサックスによる独自の音楽療法との出会いによって、不自由だった身体機能とことばを徐々に回復させてきた青年です。ここ数年の野田燎さんのコンサートには必ずご両親とともに聴きにきて下さっていましたが、それまで車椅子に乗ってきていたのが、ある日、歩いてくる姿に心底驚きました。「もう一生涯、笑うことはないでしょう」と幼い頃に医師から宣告された二四歳の若者は、喜びの感情をよみがえらせ、ことばを少しずつ戻し、かたちや色や文字を書くことで「自己表現」を行なうまでになりました。この「奇跡」は、野田燎さんの「音楽療法」の成果です。 おそらく音楽は、人間の喜びの感情につながっていて、「いのち」の本源に作用する力がある。 トランポリンを使って、リズムの中に体を遊ばせる。遊んでいるうちに、萎えた根に水が沁み込み生き返るように、機能をつかさどる神経がみずみずしく蘇生する。世にストレス解消の「音楽療法」は多々みかけますし、ふさぎがちの老人の心を開く「音楽療法」も、立派なお仕事だと思っています。しかし、ことばや肉体機能の回復まで果たすほどの「音楽療法」は、寡聞にして野田燎さんの他には存じ上げません。 「音の力」を野田燎さんは信じている。そして「音の秘密」を井上智史さんと共有した野田燎さんには、従来の「現代音楽」の分野でのさらなる飛躍を期待してやみません。
久々の能舞台を使った能楽の催しでした。講師の河村晴久さんは、観世流シテ方の能楽師。舞台活動も、講演などの普及活動も積極的に展開されています。 主催者、広瀬忠子さんは亡母・山村つね子の女学校時代からの長い友人でした。能楽の音がサロンに響けば、つい稽古に打ち込んでいた頃の母を思い出します。もしかしたら広瀬さんも同じだったかも知れません。
サロンのチェンバロは、オランダのJ.カルスベーク氏製作フレンチタイプ2段鍵盤50鍵 L.DENIS 1658年モデル。所有される河合楽器製作所のご協力を得てチェンバロとオーボエのコンサートを開きました。 木下はるみさんは千葉県出身、フランス在住のチェンバロ奏者。フィリップ・ペリシェさんはラジオフランスの放送ディレクターとしても活躍するオーボエ奏者。フランスにおけるオーボア・ダムールのレパートリーの再発見に貢献した人でもあり、当日はオーボア・ダムールを使ってバロック期の美しい音楽を再現されました。木の響きが暖かく美しい。最近の楽器は音量が大きく、よく通る音色ですが、どこか金属的な響きが耳を刺してしまいがちです。人間の息で鳴らす管楽器は、人間の耳を刺激する音色では疲れてしまいます。ペリシエさんの奏でるオーボア・ダムールとオーボエは、いつまでもその音の世界に浸っていたいほどにすばらしいものでした。
ルドルフ・マイスターさんはパウル・バドゥラ=スコダの高弟。1963年にハイデルベルクで生まれたピアニストで、1997年に30代の若さでマンハイム音楽大学学長に就任されています。非の打ち所のないテクニック。淀みない流れ。和声にも走句にも、ピアノからいかに美しい響きが生み出されたことか。いずれも「模範的」な演奏でした。
音楽を神に捧げるものとして考えていたドイツ・バロックのバッハ。そして同じ考えを持っていたフランス現代のメシアン。俊秀なお二人による、実り豊かなコンサートでした。くっきりはっきりと、どの音も同等に弾ききられたバッハ。河内敬子さんはバッハの楽譜に書かれた厳しいポリフォニーを書かれたままに再現し、その結果現れたのは、石を一つずつ積み上げられて造られた堅牢なバロック教会のごとき音の構築物でした。 現代のメシアンの音楽には、香りも色彩もあります。和声のゆらめきの中に光がひらめく。あふれるほどに豊穣な音楽。尾熊志津江さんはサロンにたびたび来演し、近代・現代の作品の演奏に恐るべき斬り込み方をみせた名ピアニストです。音楽への打ち込みの激しさと自己への厳しさ。ステージにに立たれる回数はむしろ少ないピアニストですが、それゆえにこそ「尾熊さんのメシアン」を楽しみに聴きに来られた方も多かったはずです。見事でした。楽譜を読み切っておられる。学生時代、前衛的な時期、そして神秘を音楽に表現した時代。尾熊さんは、それぞれの作曲者の作風の変遷をあざやかに描きわけ、当夜のプログラムも考え抜かれたものと唸ってしまいました。
けやきの木の根がそのまま橋になっている。紫がかった薄桃色の花を今を盛りと咲かせるカタクリの群生。野にまだ残るホトケノザなどの春の七草。 兵庫県春日町石才に住まれる陶芸家・山城建司さんのお宅から、車を約二十分走らせた山の斜面に「大八布窯」(おおはぶがま)はあります。早春の気配が立ち去らない山中での絵付実習。私は参加できませんでしたが、当日の様子が目に浮かぶようです。
蓄音器の楽しみは尽きません。 CDの次世代機「スーパー・オーディオCD」が発表された1999年に、1920年代のSP盤をその時代の蓄音器「クレデンザ」で聴く会を悠々と進めているなんて、私たちはなんと優雅な空間に遊んでいることでしょう。いろいろな話をしながら、片面ごとにぜんまいを手で捲いてSP(スタンダード・プレイングの略です。ショート・プレイングの略ではありません)をかけています。私はすごく楽しく、お集まりになる皆さまもくりかえしお越しになられます。 また来よう、という気にさせるのは一にも二にも、蓄音器「クレデンザ」で聴くSPの音がすばらしいからです。技術の「進歩」するにつれて、こと「音盤」に関しては電気を通した再生音が「音楽」から遠ざかっていきつつあるようです。もっとも、CDをよりよい音で聴くための機械(DAコンバーターなど)も開発されています。しかし価格がいたずらに高くて、一般の人間には手が出せるものではありません。私はオーディオ機器の進歩とは、雑音の除去や収録時間の拡大もさることながら、より安価でよりよい音がだれにでも楽しめるようにすることだと考えていますが、時代は逆行しています。だから私は逆行する。CD時代につくられたものはCDで聴くほかありませんが、LP時代のものはLPで聴き、SP時代のものは可能な限りSPで聴きます。 1920年代のSP盤は芦屋在住の前田和子さんから、母上、佐野貞さんの形見の、戦災にも焼け残り震災にも耐えたものを寄贈していただきました。その中から数枚を毎回かけます。そのほかにも寄贈して下さった方が数人います。感謝申し上げます。私が元気なかぎりは、SP盤を聴く会を続けていきます。
徳末悦子さんはピアノも川柳もよくなさる才人であることを、この企画の「第1回」で知り、うれしい驚きを覚えました。彼女の川柳は、心をうたうロマンティックなものです。恋の喜びを知り、別れのつらさも知り抜いた生身の「人間」の歌が、小手先ではなく「全体」をもって正攻法の「一行詩」に結晶する。駄洒落も地口も皮肉も風刺も遠ざけられ、川柳と呼ぶほかないから「川柳」と呼ばれているだけで、これはじつは徳末悦子さんだけの独自の「一行詩」です。 『散る桜に連れて行かれた淡い恋』 『遅咲きの花にもあったその野心』 『住みついた疑念を流す水鏡』 『舟歌に孤独な愛を手繰られる』 欠田チカネさんの短歌も、たとえば、 (ネパールにて) 『かの王国に海知らぬまま海月なし漂い終る一生もあるらむ』 など、ないものを歌う、さすがに塚本邦雄門下であることを伺わせるシュールなおもしろさがあります。 後半は松尾芭蕉。「奥の細道」の名句の印象を柏木俊夫が音楽に描いた作品は、以前サロンで尾熊志津江さんの演奏で一部が演奏されました。あまり演奏される機会がなかったのですが、埋もれたままではあまりに惜しい作品です。徳末悦子さんはじめ、短詩作家、演奏者、朗読者のすべての皆さんに、この企画をいつまでもお続けになることを願ってやみません。
サロン掲示板
<奈良ゆみさんのCDについて> パリと日本を往復しつつ活躍するソプラノ歌手/奈良ゆみさんは、帰国されるごとにサロンを訪れて下さいます。最近のうれしいニュースは、フランスで出したCD「ドビュッシー歌曲集」(ピアノ/クロード・ラヴォワ Cyprés CYP1613)が「ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック」誌1999年4月号で「今月の最高推薦盤」に選ばれたことでした。『ユミ・ナラの、この上もなく伸びやかな声、類を見ぬ理解力に裏づけされたディクション(歌詞の歌い方)、そして鋭い感性、すべてがドビュッシーの音楽を際立たせるだけでなく、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメの詩句をも引き立てている』(ジャン・ロワ/片山正樹訳)と絶賛されています。快挙です。 奈良ゆみさんが自らの気持ちをこめて開かれるコンサートが秋にあります。奈良ゆみソプラノ・リサイタル『母の夢…』(1999年11月6日午後2時半からと6時半の二回公演、ザ・フェニックスホール)。サロンでメシアンの「ハラウィ」を歌っていただいた前後に、よく奈良さんと話をしました。生きること、死ぬこと、愛すること、そして亡きお母さんへの想い……。このコンサートは、お母さんとその時代に、歌に託して捧げるオマージュになることでしょう。
<内山瑞枝さんが本を出されました> もと芦屋市立山手小学校/同山手中学校で教鞭をとっておられた内山瑞枝さんは、私の小・中学校の担任にして国語科の恩師でもありました。授業の中でも、折にふれては反戦平和を語りかけ、私たちの心を揺さぶって下さいました。原爆投下を題材にした子供向けの小説を時間いっぱい朗読された、あの中学二年の国語の授業の四十五分間こそ忘れることができません。みんな泣きました。喧嘩ばかりしている「強い奴」さえ目を赤くしてうつむいていました。泣くもんか、と歯を食いしばっていたのでしょう。 随想集『はまひるがおの咲くころに―鎮魂歌―』には、硫黄島の激戦で失った恋人と軍国主義に反発して学校を追われた恩師の話などが記されています。人間にとって最も大切な「愛」と「倫理」が戦争によって踏みにじられた痛切な思いが、むしろ詩的でさえある美しい日本語の文章に結実しています。広く読まれてほしい、市民の自費出版の書物。サロンにも置いてあります。 |
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1999年 8月 15日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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