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四度目の冬に
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あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。
と「サロン代表」としてご挨拶申し上げます。 「個人」としては喪中にあるのです。四年前に母を失い、三年前の震災では六千五百の犠牲者のなかに近い親類の「関連死」も入り、昨年は父を亡くしました。だから、事実も気分もずっと喪中。しかし、もうこれ以上死ぬ親はいないわけですから、夜に足の爪を切ってもいいし、霊柩車を見ても親指を隠さなくてもいいのです。親といっても、ありがたかったと思うと同時に、息子として難儀な面も正直ありましたから、すべては「前向き」に捉えて歩いていくつもりです。 人間は複合的な存在で、けっして割り切れません。二人の親の「生老病死」を、戦争と戦後と震災をからめて、いつか書いておきたいと思っています。割り切れない二人の大人たちから、どういうわけか私が生まれました。それは、ひょっとすると両親にとっては「取り返しのつかないこと」と悔やまれたかも知れませんが、「家の馬鹿息子」はとっくに厄年を過ぎて、堂々たるミドルエイジになりました。私は、自分が「はたち」まで生きていると思ってませんでしたから、これは望外の幸せというか、しわ寄せというか、「いわくいいがたし」の心境なのです。
震災はいろいろな人の人生を変えました。私もまた、ここにいる理由が、よりはっきりとしてきました。災害被災者に公的援助を行なう制度をつくる市民運動に参加していることも、そのひとつです。震災直後の小田実さんの怒りはそのまま私の怒りでもありました。サロンがまだ復旧工事をしていたころ「市民救援基金」のために街を歩きまわりました。一昨年三月「被災地からの緊急・要求声明」を出しました。同五月「市民立法」創案。七月から超党派の国会議員に賛同を呼びかけて「市民=議員立法」運動開始。懸命に地元と東京で活動し、やっとのことで昨年五月参議院に「災害被災者等支援法案」として正式に上程。通常国会閉会ぎわに「継続審議」が決定。臨時国会が始まっても審議されず、それでも発議議員らの努力で十二月十日「勉強会」開催。十二日の閉会時には、またもや「継続審議」になったのです。春ごろから、ずっと正念場でした。つぶしたい勢力があったにもかかわらず生き残っているのは、私たちの法案が、誰が考えても「まとも」な人間の常識を反映したものだからです。「人間の国」へ。これが私たちの合い言葉です。
文化・芸術の催事は、徐々に復活しつつあります。 有料チケット制よりも無料公開のほうが来場者が多いのは、震災以来変わらぬ傾向ですが、「パン」以外の「なにか」を求めてここへ来られる方が多くなったのは、確かです。「借金総額」が震災のおかげで「天文学的数字」に至った私は、「貧しさのやりくり」が上手になりました。えさ代が余分にいるのに犬を飼うことを始めたり、震災にもめげずに残ったLPが不偏に思え、それを聴くために安いプレーヤーを買いました。思い切ってお金を使ってよかったと思っています。「パン」以外の「なにか」を確実に得た気分です。 そうした気分になってもらえない「音楽会」って何なのでしょうか。手前味噌ですが、サロンで開かれる音楽会には「なにか」があります。会場を使っていただく私は切実だし、舞台にのる演奏者にもまた切実な思いがあるのです。 震災後、老いた母親と二人暮らしの娘が、追いつめられて「自殺」への思いをお母さんに打ち明けました。おまえが死んでもお金がないから、葬式出せないよ。お母さんはいいました。娘はそういわれて、自殺しないでおこう、と踏み止まりました。悲しいだけの被災地。生きていることが辛いだけ。また、無料公開のお話つきの音楽会をやりますから、お二人揃っていらして下さい。泣きたいのは、泣いているのは、みんななのです。今年こそ。今年こそ、みんなに明るい笑顔が戻りますように。 (山村雅治 '98.1.1)
ノイズ・ミュージック。その通り訳せば「雑音音楽」ですが、ポップスの分野での「電子音楽」の呼び名です。二十世紀は芸術のすべてのジャンルにおいて、さまざまな「改革」や「発見」がなされてきました。美術、彫刻、建築、演劇、文学などと同じく、音楽においても「無調」をかわきりに、楽器の音(楽音)以外の音(雑音)を用いても「音楽」はできる、と考えられました。電子音楽は、電気的な「雑音」(たとえば短波ラジオの中間周波数のザーッという音)などを電気的な処理で増幅、合成、変質させ、音を構築する手法です。大阪万博の「ドイツ館」でシュトックハウゼンの「シュティムング」などに驚いたのは、高校三年の夏でした。人間の声も素材として使われた彼の作品は、息づまるような緊迫感に支配された、圧倒的な「現代」の「音の時間」でした。 さて時はながれて、震災後の芦屋。AUBEの名で世界的に活躍されている中嶋昭文さんは、このチャリティコンサートの「音」の素材に「水」を選びました。空気を入れて泡立たせる。その振動を委曲をつくして電気的に処理を加えつつ、一時間ばかりの「ノイズ・ミュージック」をその場で創造されました。人間の仕事です。だから、中嶋さんの「趣味」も「感情」も、さらには濁りのない「魂」さえもこめられていました。企画の坂口卓也さんにも感謝致します。
久保洋子さんは、クラシックの分野での「現代音楽」の作曲家/ピアニストです。最近は教育活動にもますます力を入れられ、とくに二十世紀の現代音楽の「語法」を、より若い世代に伝えることを目指されています。創作家、現場の演奏家、教育者。どれをとってもたいへんな仕事なのですが(建築におきかえれば、設計家と土木作業員と工学部教授をひとりでやる、ということ)、久保さんはエネルギッシュに芦屋・西宮とパリを往復してキャリアを積んでこられました。パリ第一大学で「芸術学」博士の学位も取得され、学問のほうは一段落。震災後の創作は、いよいよ磨きがかかってきたようです。必要なことを必要な音だけで。新作「フュジョン」は世界初演でした。彼女の師、近藤圭さんの「主題と変奏」も世界初演。郷里のうた「よさこい節」をテーマにした、主題と四つの変奏曲。そうか、近藤さんはこんな曲がずっと書きたかったんだ!……と思いました、と終演後お伝えしました。近藤圭さんの「地金の音楽」。高知県の皆さんに、知事にも市長にもぜひ聴いてほしいものです。 尹伊桑(ユン・イサン)は韓国の作曲家ですが、政治的理由によりベルリンに居住、活動を続け1995年に亡くなりました。晩年には「光州事件」への痛憤を描いた作品もあります。ガラクは「歌楽」。旋律の意味です。響きと息の長い堅固な構築性に、動かぬ彼の芸術的な個性があります。つねに故国の音楽の伝統を感じさせ、「くに」を失ったものが、かえって「くに」を雄弁に語っていること、単なるノスタルジーでなく、自身の「生きる根」との格闘が、深く真摯に持続していたのだと思います。ファーニホウ、デュコル、ゴーサン、いずれもめったに実演に接する機会のないものです。アルトー&久保のデュオは、すぐれた技術に支えられて、どの曲もたったいま生まれたかのように新鮮に響きました。
森田克子さんはNHK教育「若い広場」に歌と司会で出演、ミュージカル出演など、キャリアの豊富な声楽家。山崎陽子さんは宝塚歌劇団出身で、ミュージカルのみならず童話や絵本作家としても知られた人。「あなたの心の一隅にもしも灯りをともせたら…」という、お二人の願いがこめられていました。収益は「あしなが育英会」の震災遺児ケア施設《レインボーハウス建設基金》に寄付されました。
サロンの陶芸のメンバーが、兵庫県春日町にある陶芸家・山城建司さんの「大八布窯」まで出かけ、素焼きに絵付けをして楽しみました。JR宝塚線(旧称・福知山線)で、窓外に川の流れが瀬戸内海へ向かっていたのが、いつのまにか日本海の方へながれていくのを見て驚いたりして、ちょっとした遠足気分であった、とサロン派遣の「添乗員」兼「お世話役」兼々……の女性スタッフは申しておりました。 「秋の出会い展」は、いつものように山城さんの陶器と山内さんの藍染めにくわえて、今回は角さんの漆器に花を添えていただきました。お茶花を生けて下さったのは寺島和子さん。みんな善意の人です。
芦屋の夏の風物詩。今年も、また。黒田さん、河野さんに深謝。終演後、被災の現状を気遣っていただいたことに、お気持ちを感じました。
尾熊志津江さんは神戸市灘区に住むピアニスト。被災後しばらくしてからようやく連絡がとれて、お互いの生存を喜びあいました。もちろん直後は音楽どころじゃありません。家族と自分の「いのちの心配」がなによりも優先。しかし、このコンサートの企画を相談したころ、尾熊さんは以前のように、つねに新しいレパートリーを開拓するアグレッシヴな音楽家の目を取り戻されていました。豹のような敏捷さと、しなる鋼の強靭さが尾熊さんの持ち味です。二十世紀の、ことに「非ヨーロッパ」音楽を弾かれるとき、このピアニストの個性が最も雄弁に花開く思いがしたものです。 この日はなんとシャミナード。優雅そのもののサロン音楽です。1861年パリ生まれの女性作曲家で、8歳のときに「カルメン」の作曲家ジョルジュ・ビゼーに才能を認められました。おそらくこれらの曲の「日本初演」だったかも知れません。きらめくリズム、豊かな旋律、装飾が実体と重なり見え隠れする作曲技法のおもしろさ。なるほどビゼーも驚くはず、と尾熊さんの演奏を聴いて私が驚きました。柏木俊夫は神奈川在住、1951-52年ジェノヴァ国際作曲コンクール入選の経歴をもつ作曲家。「落ち来るや高久の宿のほとゝぎす」「風流のはじめや奥の田植うた」の「印象に基づく自由な幻想を楽しむ』日本のピアノ音楽は、戦後まもない1947年から書き始められたということです。芭蕉は私のなかにいますが、尾熊さんのなかにもいたのです。「夢は枯野をかけめぐる」幻想へ行くかと思えば、なんとコンサートのしめくくりはグラナドス「ロマンティックな情景」。これはなまなましく生きている男の音楽。官能も夢想も歓楽も、その果ての寂しさもにじみます。抽象でもなく異界の消息を伝える音楽でもなく、この地上に生きている人間のロマンさえ、尾熊さんは「私の音楽」にされて美しいピアノ音楽を奏でておられました。また機会があれば、どんな曲を弾かれるのか、楽しみです。
どなたかが演奏して、私がしゃべる。こういうコンサートが震災後は多いのです。え、まだ震災チャリティなの、とおっしゃるのですか。ほかの地域に住んでいらっしゃる方には、とても分かりにくいことと思われますが、地震にまともに襲われた地域の私たちにとって「被災」はなお続いているのです。旅行者には建物や道路や百貨店しか見えないから、「神戸はみごとに復興しましたね」などといわれる。冗談じゃありません。神戸の、芦屋の、西宮の、駅前の大通りから外れた路地裏の更地をご覧下さい。市民の生活が、生活基盤を破壊されたまま置き去りにされているから、駅前にない地域の商店街など仮設店舗がちらほらとあるだけで、うら寂しいかぎりなのです。 ことに東京の報道は「地方」を無視する傾向にあります。私たちを根深く脅かしつづける「政府無策」による「都市型震災被災」の実態を、注意深く隠しつづけています。私たちの実態を東京都民の皆さんが事細かに知るに至れば、間近に起こるかも知れない「東京地震」を前にしてほとんど「パニック」状態におちいるのは必至ですが、当局はとにもかくにも「安心」させておくのですね。これは倒産が見えた大証券会社の幹部が、そうとはいわずに「内定者」を揃えていたり、社員に「自社株」をローンまでさせて買わせていた風景と、どこか重なります。政府に地理的に近い人たちほど、本当のことから遠ざけられています。私たちが求めている「被災者に公的援助を」ということが通れば、「もし東京で起きれば財政が大変になるからしないのだ」という奇妙な話を聞いたことがあります。財政のほうが都民のいのちよりも大事らしい。かつて大正時代の大日本帝国には「関東大震災」に壊滅した「帝都復興」を、軍事費や公共投資を削って成し遂げる「常識」がありました。しかし戦後の日本では「財政」だけが生き残り、市民はゴミのように棄てられていくのです。「財政」は、もともと全市民が血を吐く思いで納めてきた「税」であったというのに。
いざ、お客さまを前にして話すとなると、ついつい長くなってしまいます。当日私は「震災と市民と音楽と」と題して喋りました。いまはほぼ元通り、よそのコンサートヘも出かけ、機械を通しての「再生音楽」も楽しんでいます。むかしのLPを聴くのがとても楽しい。どなたか好きな入、そして暇な人、LPの話をしませんか。求む、フルトヴェングラーの「英雄」米ウラニア盤。
「ふたりの駅」の主人公プラトン・リャビーニンは、交通事故を起こして服役中の身でした。妻との面会のために一晩仮出所を許されたものの、次々とトラブルに巻き込まれます。その間レストランのウェイトレス、ヴェーラと恋仲になるのですが、プラトンは実は家庭は冷えきっていて、テレビ・アナウンサーである妻が罪を償おうとしないので、身代わりに服役していることを告白しました。仕上げはコメディです。しかし、ドラマ・トゥルギーは真にロシア的な「トラジコメディ」の伝統に支えられ、人間をみつめる眼差しの奥の深い喜劇になっていたのはさすがです。これはたしかにプーシキンやゴーゴリやドストエフスキーを父祖にもつ国の人たちの映画。悲惨な境遇であるのに、そうは感じさせない軽さがあるのは、あの国のユーモア感覚のおかげです。音楽にウラディーミル・ヴィソツキーの「モスクワーオデッサ」が用いられていたのも懐かしかった。 ロシアの人たちは街の人のなかにいる「聖狂人」(ユーロジヴィ)を愛しています。現実にはスターリンの圧制時代にマリア・ユージナというピアニストがいたし、文学上の人物では「白痴」のムイシュキンがそのタイプです。この日のお客さまの中には、神戸市灘区在住の詩人/多田智満子さんもおられましたが、お帰りぎわに「私も『白痴』が思い浮かびました」と声をかけて下さいました。
「ショパン」誌の切り抜きをご覧下さい。サロンについて的確に書かれています。 前年に別の会場でベートーヴェンのソナタを「全部やった」、そして今回はシューマンを「全部やりたいんです」という若いピアニストの意気に感じて協力してきました。残り一回。アルフレッド・コルトーをめざす青年の覇気が、いずれは大きな実を結びますように。
イタリアはシシリア島、タオルミナとナクソスを遠望する写真が当夜のプログラムの表紙です。「ガレアーニ氏在住」という説明があり、シシリアもタオルミナもナクソスもまだ行ったことのない「あこがれの地」ですから、そこから1966年生まれの若いピアニストが来演する、というだけでピアノの響きが想像できました。ほんとうは震災の年に来日が予定されていました。ちらしも作ってありましたが「幻のコンサート」になっていました。あれから二年。三十一歳のピアニストの来日公演には、心中期待するものがありました。「音楽芸術」誌の批評をご覧下さい。
これもリスト協会スイス・日本、チューリッヒ生まれのリヒャルト・フランクさんの企画です。リストのすべての「ピアノ協奏曲」のCDを自らがピアニストとして作っておられるフランクさんが、イタリアのオルヴィエートで出会ったコウトゥニークさんを日本に呼ばれました。淡路島、大阪、京都の、のべ六回のコンサートで終わるはずでした。芦屋公演は急きょ企画されたもので、フランクさんご夫妻の「ぜひ地元の阪神間の人にコウトゥニークさんのクラリネットを聴いてほしい」という願いによるものでした。 コウトゥニークさんはチェコのプラハ生まれ。チェコ・フィルのヴァイオリン奏者の父とピアニストの母、それに兄が指揮者という環境では存分に音楽の才能が伸びていきます。プラハはウィーンに近く、モーツァルトが「ドン・ジョバンニ」を上演した街でもあります。古くから音楽の伝統が息づく街から、すぐれたクラリネット奏者が芦屋にやってきました。 まず音が豊かです。加えて、多彩な音色を持っておられます。それは最も細い木管から、最も野太い金管の音色さえ連想させるほどであり、音量の幅と色彩の明度と彩度の無限のグラデーションを、彼は音符に応じて変幻自在に使い分けていく。これはまるでハイフェッツのような、驚くべきクラリネット!
今年も「市民=議員立法」の活動で、よくサロンを留守にしてしまいました。これら親しい方たちの主催イベントに限らず、若い人たちの音楽会や発表会、社交ダンスの会や各種の宴席にいたるまで、人間が生きている時間を刻みつける、一回きりの催事です。人間の個人の歴史は、世界の歴史につながっています。 「刻むいのちのときどきを」という詩句は、私の母校、兵庫県立神戸高校のために吉川幸次郎が書いたものです。八月には私たちの学年全体の同窓会を、卒業以来二十六年たってはじめてサロンで開きました。むかしの友だちに会うのはいいものだったし、なおかくしゃくたる恩師に会うのは、さらにうれしいことでした。校区の全体が震度七の激震地帯だっただけに、感慨深いものがありました。
ヌエたちの夜会がはねるとき
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むかしむかしオランダにパリで学びしエラスムスという愚者ありて枝葉末節を論じて徹夜する不毛なる神学論争や酒池肉林の贅沢三昧・お布施あつめ競争やだれもが結局は救われない宗教戦争に憂き身をやつす教会や政治の偉い人はほんとうは愚者たるじぶんよりも馬鹿なのではないかと思うた。ばかのなかのばかたるエラスムスはついに「痴愚神」を礼賛する一冊の書物をものしたり。いわく、ばかかばちんどんや。ばかばか。ばかばかばか。 いきなり、そんな書き出しが浮かんできました。エラスムスや「ガルガンチュアとパンタグリュエル物語」を書いたラブレーは、あらゆる意味で混乱していた十五世紀末から十六世紀前半のヨーロッパで、最も明晰な知性を輝かせていた人たちです。ユマニスム(ヒューマニズム)ということば自体は古代ローマにもあったようですが、エラスムスらの使った「ユマニスム」は、古代ギリシアなどの古典に学ぶことによって、硬化した中世キリスト教神学からの「人間の解放」をめざすものでした。たとえば十三世紀のトマス・アクィナスはスコラ哲学を完成させたと称せられる神学者です。長く続いた「普遍論争」の調停者として有名です。普遍が実在するか否か。するという「実在論」(アンセルムスなど)・がはじめは優勢でしたが、いや普遍は名目にすぎず個物だけが実在する、という「唯名論」(ウィリアム・オッカムなど)が現われ対立していました。トマス・アクィナスの時代に、ようやく「普遍は個物の中に実在する」という説を出して、争う両者を落ち着かせたのです。中世キリスト教神学の論争とは、たとえばそのようなものでした。
ふーむ。それがわれわれが人間であることと、どういう関係があるのかね。どうでもいいことではないのかね。エラスムスやラブレーの「ユマニスム」は、こうした「神学」に支配されている人たちの「硬化」を根底から吹き飛ばします。もはや笑いのめすしかなかった、人類の没知性の悲惨な時代。いまの日本も、彼らの時代に似ています。
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人間がいる。あなたがいて、私がいて、彼や彼女もみんなが個別の自分を持っていて「われ=われ」のかたちで「私たち」がいます。だから、人間の社会に人間の支配者が「まだいる」ことを、おぞましいと思っています。この閉塞した時代を切り開くには「人は人を殺さない」「人は人に殺されない」の基本に加えて「人は人を支配しない」「人は人に支配されない」という原則を、個別の次元から徹底させる必要があります。それが「サロンの思想」の基礎です。 人が人に力をもって覆い彼さろうとするときに「権力」が生まれます。おまえは俺よりも弱い、ということを力づくで示そうとする「暴力」が伴えば、支配者はやすやすと「暴君」にも「地上の王」にも成り上がります。この地上には、ただのひとりさえ「地上の王」は、いらない。
この百年あまりの日本は、明治以来の「軍事立国」が敗戦でつぶれ、戦後以来の「経済立国」もみずから利益をむさぼりつくした結果の「バブル」ではじけ、もともと倫理のかけらもなかったものだから、政官財ともども為すすべもなく「地盤」が沈んでいくのみです。倫理とは「いかに生きているか」を不断に問いかける心のなかにあり、日本人はそれをどぶに捨てたから、お金のためには「何をしてもいい」ことになったのです。本来、欧米の資本主義には ― マックス・ウェーバーによると ― 「プロテスタンティズム」の潔癖な倫理がありました。 だから、いざ不可避の自然災害が起こると、納税者たる被災者を、税収の集積たる公費をもって支援する。「市民生活の危機は国家の危機」とするアメリカをはじめとして、スペインもイタリアも、現金の直接支給をもって震災被災者を助けました。「資本主義国では個人補償しない」という、いまや下手なお経の文句にしか聞こえない官僚筋の千篇一律の台詞は、まやかし、もっとはっきりいえば嘘なのです。財政的にたいへんであるならば、いろいろな項目から削って作れ。どうもこの国は市民の生命や生活よりも、「財政」という「ヌエ」が、神聖侵すべからざる「おふだ」のようなものらしい。変だ。
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ほんとうに現代日本の人たちは、なにがなんだか分からなくなってきた。街の底にながれているのは、こんな声です。 やつら、せっかく一所懸命勉強していい学校に入っていい会社に入ったはずなのに、とつぜん大きな企業が倒産してしまう。大企業のトップのじいさんたちは、人間的にも魅力があり尊敬すべき人だろうと思っていたのに、とつじょ逮捕されちゃう。俺だって給料はよかった。ボーナスも並の倍はもらっていた。でも、うちの銀行は看板倒れの三流でさ、不良債権をかかえてつぶれそうなんだ。大手建設業、大手貸ビル業、大手生保も一蓮托生。心配だよ。家のローンに、高校の娘と中学の坊主の教育費。会社ってなんなんだろうな、一体。リストラってよ、リスと虎のことじゃないんだぜ。俺たちは使い捨てのティッシュかよ。経営陣の積年の汚物がべっとりこびりついてら。 あなたは家には寝に帰るだけじゃないの。社畜人間。日曜日もゴルフ。仕事だ、接待だ、給料の種だ、なんて嘘ばっかり。給料ふえないじゃない。ボーナスないじゃない。こどもたちには、あなたは単なる臭いオヤジ。ろくに遊んでやらなかったから、もう見限られてる。あなた、知らないでしょ、あなたの息子が学校でひどいイジメにあって苦しんでること。あなたの娘が援助交際という美名のもとに売春行為を過去三回やったこと。あなたのお給料じゃ足りないから、私もパートに出てたのよ。スーパーのレジ打ちだけどさ。それやんなかったら、家のローンが返せなかった。こどもの小遣いどころじゃなかったのよ。私もいきなり、なんのために生きてんだろう、と思って包丁の刃先をにらんだわ。でも、安心してね。大根を切ったのよ。大きな大根をぶあつく輪切りにして、ことこと煮込んだものにお味噌をつけて食べたかったのよ。 マンションのいちばん北の通路側。暗くて狭い物置きみたいなとこが俺の部屋だ。ガキのころから勉強勉強といいたてられて、わるい点数だったらオヤジにしばかれた。父さんは三流の駅弁大学しか行けなかったから出世できねえ、おまえは一流の国立へ行かなきや一生冷や飯食うぞ、だなんていいやがった。それっておかしい。出世できねえのは出身大学のせいじゃなくて、てめえの働きがわるいからだろ。読んでるものったら競馬新聞に女の裸の週刊誌。そんな知的レベルのおっさんの息子がさ、勉強できるわけないじゃない。この成績だったら上出来だよ。それにしても、むかつくぜ。朝も昼も夜もむかついてしようがない。クラスの誰もが宇宙人になった。俺はひとり、この部屋で漫画に夢中になり、そのなかにだけ、誰も知らないボクがいる。 わたしはさあ、今日いちにちをぱーっと楽しみたいのよ。だって、みんなやってるから。クスリも回ってくること、あるよ。薬づけになっちゃった子は、薬のために援助交際ぬけられない。とめられないよ。どーしようもない、その子の問題じゃん。なにもかも自分ひとりの問題。わたしもひとつずつオトシマエつけて、誰にも迷惑かけてないよ。学校は学校。家は家。場所ごとの仕事はきちんとやってるし。べつにいーんでねーの。ほっといてよ。薄汚ねえ大人がどんな説教たれたって説得力ないんだし。じゃ、行くから。
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基礎が壊れているから、この国では人間が人間でなくなってしまった。 きれいごとだけでは人生を生き抜けないということ、私も知っています。そもそも人の生命がどれほど熾烈な「細胞次元のたたかい」を経て発生することか。生まれてからの難儀さも、勝ち抜くことを目的にしているから生じているとすれば、人間が人間であろうと望むならば、人は人を殺さず、むしろ「生かす」ほうへ動くべきです。どうも現今の風潮は、国民を「財政」のまんなかにいる「勝ち組」と、「財政」から切り離された「負け組」に分断しようとしているようです。国民の数が多すぎるから、半分は棄てる、ということか。市民は奪われっぱなしです。被災地の市民はすでに、ぼろ雑巾に気持ちがあればそれがわかる、という感情をもって日々をしのいでいますが、このままでは日本全土が「失政の被災地」になる。日本の「地上の王」たち、政官財の支配層を自認する人たちが、この国の全土を食いつぶし、全市民の労働力を消費しつくしてきたからです。
あなたは、なぜ怒らないのか。ここにまかり通る非道の国政。彼らの夜会の足下が沈みつつある。山羊の頭のスープ、カラスの丸焼きが旨かったと、あの人たちはいう。しかし市民は、朝の緑の光のなかで、湯気の立つミルクティーとトーストにありつければ幸せだったのです。むかしむかしから、いまもこれからも、ずっとです。 (山村雅治 1997.12.14) |
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1998年 1月 1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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