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<< Vol. 11 1994前期- Vol.12 Vol. 13 >> |
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暑中お見舞い申し上げます
今年の夏は暑さもひとしお。おそうめんに冷奴、枝豆とよく冷えたビール。帰宅時にはそんなことばかり考えていますが、ああ、それとタコブツもあればいいな、とか追加しながら車のドアをあけると、むっ!と夜まで続いていた蒸し暑さ。うだりますね。 とはいうものの、世の中がどう変わっていっても、私たちはその日その日をなんとか暮らしていかなければなりません。円高でどうなり、水不足の情勢がどうなり、何か何でどうなろうが、朝から夜までのことをきちんとしていくことが私たちの仕事です。
前の会報から半年を経て、いろいろなことがありました。 かなしいことがあり、寄せられたご厚情に打たれました。 総理大臣がころころ変わり、猛毒サリンが街に流されました。 チマ・チョゴリを着た朝鮮学校女子生徒に対してのいやがらせ事件が全国でおきています。 たぶん、私たちの心は、いまとても寒いのだと思います。 寒くて渇いていて、人間が芯に持っているべき暖かさが、世の中には見あたらない。隣人の人生についての想像力が失われている。人を傷つけることで喜びを覚える人間。傷つけたことに自分が傷つかないのならば、そんな人間は生きる資格を欠いています。
若いころ、理解と愛は別ものだ、と感じていました。不惑を過ぎてから、やや感じがちがってきました。若いころの私の愛は、鋭いというよりは偏狭であり、激しいというよりは強引であり、かつ傲慢なものでした。自分に似たものしか愛せない、というのは青さにほかなりません。 ことばや音楽や絵などを通じて、その人の人生を読み取ることがおもしろい。ますますおもしろく、さらに奥の深い喜びを味わえるようになりました。人は読めば読むほどおもしろい。 すぐれた芸術作品は、人と人との垣根をこえて「それでも人生は生きるに値するものだ」と教えてくれます。どんなことがあっても、生きていれば、笑うことができるのです。
自主催事は、いよいよ秋から盛んに展開いたします。 お知らせ等、どうぞお見逃しございませんように。 暑さのみぎり、くれぐれも御身おいとい下さいませ。 (山村雅治 Aug.1 1994)
デムスさんをサロンにお迎えできたことは、望外のよろこびでした。 1928年オーストリア生れの大ピアニストは、さいわいサロンのスタインウェイをvery good!と喜んで下さり、ロマン派のピアノ音楽の魅力を縦横に弾きつくされました。 私のリクエストは「変ロ長調」ソナタでした。死の年のシューベルトの長大なピアノソナタを、かねてからサロンで聴きたいと願っていました。デムスさんは、やや早めのテンポを選ばれ、不思議なペダリングで響きを持続され、千変万化の音のニュアンスが一途な歌に陰影を与えられていました。絶望の淵に沈むよりは、なお春風のなごやかさを焦がれる、まだ若い31歳のシューベルトの息づかいがそこにありました。 もう何度弾かれたことかわからない、洗練された「即興曲」。掌のあたたかさそのままの「子供の情景」。そして「クライスレリアーナ」は、燃えあがるような音楽的感興をもって弾きぬかれました。なんというテクニック。ふつうの意味のピアノの巧さとは全然ちがいます。
お近くの音楽大学、芸術大学の先生方や年季のはいった愛好家など、客席はうるさがたの諸氏で埋まりました。ある人は呆然とされ、ある人はことばを失い、音楽のほんものの凄さを目のあたりにして、ただただ拍手。 もともと個人的な思い入れがあって、この催しを開きました。個人をこえて皆さまに喜んでいただけて、ほんとうによかったと思います。
前回の会報でお伝えした山村サロン版「透明の影」を発展させて、オーケストラを用いた音楽会になりました。当日配布のプログラムの作成などを通じて協力させていただきました。
一夜のうちに、あふれんばかりの音の楽しみがありました。野田燎さんの音楽は、どうもお偉いセンモンカの皆さまの耳に届きにくく、かえって重い障害をもって生れたこどもたちの耳に届き、かつはその運動機能を回復さえさせている、という事実が興味深く思えてなりません。野田燎さんは音楽の前衛を走られるかたわら、音楽とトランポリン運動による「脳性マヒ疾患治療」の研究と実践を進められています。 音楽にできること、の明確な一つの解答であると思います。後衛の力を信じることができる前衛は、かくて目にも鮮やかに遊びまくります。お固いセンセイ方には、きっとこの様子が腹立たしいのですね。人が自由であるときに我慢できない性分とは、いやはや困ったもの。 それはそれ。私は野田燎さんの音楽を支持します。ロバの耳よりも私の耳は、こどもたちの耳に近い。ただひとり批評を書いて下さった松本勝男さんの表現に即していえば、私は当夜会場につめかけた「海賊風にバンダナで頭を包んだり、ピアスをきらめかせたりの男たち」にまじって、野田燎さんを「ずばぬけた才能」の持ち主だと認めているひとりです。
後半、オーケストラの響きともども古典的なかなしさを感じさせたバッハから、自作「透明の影」の原始/現代の爆発にいたる「音楽の時間」が白眉でした。そしてつけくわえれば、「ゲルニカ」はやはり世界の不寛容への抵抗の音楽として、もっと聴かれ、認知されるべき作品ではないでしょうか。
山村サロンの一角に「能揺」関係の蔵書を「宮原文庫」として集められた、宮原繁氏の年来のご著書<近畿謡跡ガイド>三部作がこのほど完成されました。能の舞台となった旧跡を、ご自分の足でたしかめ歩かれた力作です。
冬には冬の花。しんと冷える野山の夜にも、萌える芽があり、咲く花があります。 あたたかさに呼びかけられて咲く、というよりも、冬の花は私たちの心をあたたかくしてくれます。
この催しは、息の長いものになりました。毎月各方面の先生方をお招きされ、講義が終わると皆さんでお昼をご一緒される、というご婦人たちの会です。その様子は「阪神観」(東方出版)144頁にも紹介されています。
お茶花の会から発展した会ですが、サロンで土をひねって信楽の窯で焼いていただきました。 お抹茶の茶碗をみなさんおひねりになりました。なかには梅干しの蓋付きのいれものを作られた方もいらっしゃって、微笑ましいかぎりでございました。
衣装演出家、前田親男さんはモネや坂本繁二郎に通じる色彩を「きもの」において追求されています。かたちも機能的かつ斬新であり、デザインについてお話を伺っていると、とどまるところを知りません。 以前に「ユネスコ」の講師に招かれたご縁もあり、広瀬忠子さんと江藤万里子さんにご尽力を賜りました。御礼申し上げます。
サロンシアター開幕!
INO ART主宰の井上太恵子さんの企画により、サロンで映画を見て、いろいろとお喋りしながら、お茶とケーキを頂きましょう、という楽しい会が発足いたしました。 最初はどなたか講師の先生をお呼びして、というようなことも考えていましたが、軌道に乗るまでは山村さん何かおっしゃってよ、ということで、ひとりのファンとして「ぼくはこう見ました」ということを、お客さまとの受け答えのうちに、お気楽に喋らせていただいています。
同じ映像作品を見おわって、老若男女それぞれの感想をお聞かせいただくのは、ほんとうにおもしろい。ときどき、どきっとするようなことばが飛び出してまいります。 「髪結いの亭主」は男のエロスについてのルコント監督の、いわば映像によるエッセイです。おとなの官能のありかについて、白昼堂々とお話を交わせて、私は幸せに思いました。
9月5日(月) ベニスに死す ヴィスコンティ監督
10月3日(月) フランチェスコ カヴァーニ監督
毎月第一月曜日 昼夜二回上映
*くわしくはサロンまで*
山崎隆道さんという魅力ある人物との出会いにより、とうとう私も「日蘭芸術友の会」に入らせていただくことになりました。蘭とは和蘭、オランダのことです。アムステルダムが好き。思い出がある街なのです。また絵描きではデルフトのフェルメールがいちばん好きだし、レンブラントやゴッホを愛しています。 それはともかく、その前に心のこもった「出会い」がいくつもあり、何人もの善意が集結してこのコンサートが開かれました。 マルティンさんに「きのうはイェルク・デムスさんがこのピアノを弾いたんだよ」とおしえてあげたら、目を丸くされていました。「四季」が彼のソロ。「ドリー」と「ワルツ集」が夫妻連弾。力みなぎる若さのピアノ。めざましい技巧の持ち主です。
THE MUSIC CENTER主催、昼夜2回公演のチャリティコンサートには、中西淳子さんのご尽力で若い音楽家たちの舞台に花をそえて、1952年生まれのドイツのピアニスト、ウドー・ファルクナーさんが招かれました。 ラフマニノフ/12の前奏曲作品32より 第10,7番 10の前奏曲作品23より第7番プロコフィエフ/ソナタ第3番イ短調作品28。 以上がファルクナーさんが弾かれた曲目でした。プロコフィエフを聴かせていただき、尖鋭なセンスを感じました。お話のあいだに現代音楽について水を向けたら、シュトックハウゼンから後の作曲家の名前があとからあとから出てきました。いまはリームがすばらしいと思っている、とのこと。 アンコールのショパンもおもしろく、「ドイツ人のショパン」であるよりも「現代音楽を通ってきた人」のショパンだからおもしろい、というべきでしょう。強調される音がちがうのです。「音楽の歴史に、どこにも断絶なんてなかったよ」と、彼はいいました。
スイスの巨匠マックス・エッガーさんのサロンでの3回目の音楽講座。 生粋のヨーロッパ人の音楽学の観点を拝聴することは、とても興味深いものでした。 「ヨーロッパ」とその周辺の「ヨーロッパにあらざる地域」の区別の問題を、ヨーロッパの知識人はたえず考えています。「アジア」の定義はここでは非常におおらかなものでした。 文化史とはもともと地球上の文化全体について記されなければならないものですが、それはどんな人も、ひとつ個人の母国語をもってしか書くことができないのです。それも自分のいる場所から。
舞台の石川功さんはどんなときも、もっとも男らしいシャンソン歌手でした。 ということは、いつも泣きごとや繰りごとや感傷と戦っていた芸術家でした。 これからは舞台を移され、接する機会が少なくなるのが残念です。 EMEの皆ざまのますますのご研讃を期待いたします。
スロヴァキアのチェリストとドイツ在住の日本人ピアニストの2度目の来演。今回のプログラムは、ドイツの重厚な作品がメインに選ばれたもの。彼らのデュオは、とくにブラームスにみずからの適性を見いだしているようです。 渋い音色。底に力を秘めた深い呼吸。フォルティシモがけっしてうるささを感じさせないチェロに対して、竹屋茂子さんのピアノはあいかわらず澄んだ真水を思わせ、「第4交響曲」以後のブラームスの世界かくまなく描きだされていきました。人なつこくて、寂しくて、あこがれて、あきらめて、でも泣くもんか、という晩年のブラームス。 ベートーヴェン中期の代表作のひとつ「チェロ・ソナタ第3番」には、いつも第一楽章の展開部でどれだけ張り裂けそうに表現してくれるか、を聴いてしまいます。このデュオも張り裂けてくれました。あの響きがあり、続く楽章の歌がある。そして最終楽章への入りのなんと見事だったこと。こめられた気持ちが音色を生みだし、息が合ったテンポとリズムを伴って、いつまでも忘れられません。ときどき仕事をしながら、あの節を口ずさんでいることがあります。
木野雅之さんは数々の国際コンクールで優勝された精鋭のヴァイオリニストです。現在は日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務められるかたわら、ソロに録音活動に活躍されています。 いや、巧い。シューベルトの「魔王」を伴奏部を含めてヴァイオリンー挺で鳴らすことができる、というテクニックはそれだけで人の耳目を集めるに足ります。ナタン・ミルシュタイン、ルジェーロ・リッチ、イヴリー・ギトリスに師事。この堂々たるキャリアをなるほどとうなずけます。サイガーさんはかのミッシャ・エルマンの伴奏ピアノを弾いていた老練なピアニスト。とても楽しそうに合わせておられました。
藤原晴美さんは、この11月にピアノで、12月にチェンバロでバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の演奏会を開かれる予定です。三種類の鍵盤楽器と遊ばれる、シリーズ第一回は平山照秋さん制作のフォルテピアノを用いて、モーツァルトの作品をほぼ年代順に弾かれました。 お客様には賛否両論のモーツァルト。いわゆる珠玉のごときスケールや柔らかいタッチ、安定したテンポ、つまり毒にも薬にもならないロココ調のモーツァルト像からは、とてつもなくかけ離れたすさまじい音楽が、嵐のように吹きすさんでいたからです。
「お手本」を聴きに音楽会に行きますか。私は日常をかなり忙しく過ごしていますが、外まで出かけて演奏会を聴きに行くのは、天地がひっくり返るような「おもしろさ」が期待できる人のものに限られます。たとえばイ短調ソナタ。あのK.310の冒頭をあれだけ早いテンポで、踏み外しそうになりながら「パトスの音楽」を奏でた音楽家は、古今に皆無です。同じ曲のフィナーレの中間部では、息を呑むほどの美しい音色で長調の歌が流れました。アンダンティーノ変ホ長調は、なつかしさの極み。藤原さんご自身「告別ソナタ」に似ている、と記されています。
大井浩明さんはどこからともなく私の目の前に現れ、若い作曲家たちに新作を依頼してコンサートを開いたかと思うと、東京のひょんな所でばったり出会ったり、地元京都で凝ったプログラムで活躍していたり、知らない間に'93年度のアリオン賞の奨励賞を受賞されていたりして、キャリアを築きあげてこられました。 今回は大阪生まれの作曲家、西村朗さんの作品がとりあげられました。未発表の19歳のときの「ピアノ・ソナタ」は初演でした。大井さんの舞台では、きっとどこかに初演もしくは日本初演の曲目が含まれています。この気概。
西村朗さんといえばオーケストラのための音楽の作曲家というイメージがありますが、ピアノ・ソロのための当夜の四曲や打楽器のための二曲などを通じても、やはり作曲家の資質を感じました。音響への偏愛。官能のよろこびに達するばかりに音を響かせ、響く音の曲がり目にさらりとサインが書かれている。打楽器作品には理屈ぬきのたのしさを、ピアノ曲には音響にすべてを賭けていく凄味さえ感じました。
それにしても、大井浩明さんは「音楽芸術」誌で、いい批評を頂いたものです。ますますの活躍を期待します。
「教養サロン」で源氏物語を語り続けていただいておりました村山リウ先生が、本年6月17日に死去されました。 91歳のご長寿でございました。 サロンにお迎えさせていただいた最後の機会は、'92年9月でした。和服をいつもお召しになっていらした先生も、このときはお楽な洋服。年来のファンの皆様と和食をおたのしみいただいたのが切ない思い出になってしまいました。 告別式には土井たか子さんが駆けつけられ、心にしみ入るような弔辞を読まれました。土井さんも、村山先生の「女だって人間じゃあないの!」という一喝に、百万の味方を得たごとくだったのでしょう。 私の大好きな「おばあちゃん」でした。こどもを持たれない先生は、そのかわり先生の魂をうけつぐ人材をたくさん得られました。お宅へお送りするたびに、私の車が見えなくなるまで、じっと玄関に立ちつくされていたものです。背中に感じていたのは、なにか祈りのような眼差しでした。
「おや、つね子さん。あなた、こんな所にわたしよりも先に来てたの。あらまあ……」というような、あの世での会話が聞こえてくるようです。「おほほ……」としか、母はいわないでしょうね。うん、なんとなく。
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1994年8月1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン e-mail yamamura@y-salon.com H P www.y-salon.com Facebook www.facebook.com/yamamurasalon
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