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あけましておめでとうございます。 ほかのなによりも、今年も新年のご挨拶を申し述べさせていただけることを感謝したいと思います。サロンの活動も丸7年が経過いたしました。 あたふたと世の中が動いて、人もあちこちに動きます。 じっと動かないで7年間、文化と芸術をめぐる人間と人間の世界の定点観測にも、さらに奥深い味わいを感じるようになってまいりました。バブル景気の浮かれ陽気に、人が試されていましたが、空前の平成大不況をむかえたいま、さらにきびしく試されているように感じます。 これからますます世の中は変転してまいります。サロンの催しの内容もいよいよ多彩なものになっていくはずです。 夢をみる力があれば人は折れるものではありません。 とりすました「お文化」と「お芸術」には、もうほとほと愛想がつきました。ほんとうに人を「支える」力をみなぎらせる文化と芸術を、どこまでも探し続けたいと願っています。 (山村雅治 1994.1.1)
年一回のこの催しも早いもので、五回目を迎えました。お茶花の淡斎先生のお呼びかけに応じられ、陶芸の先生がたが作品を寄せられました。夏のはじめのころのさわやかな気を運ぶ、例年の芦屋の風物詩です。今年は下記の先生がたにご出瓶いただきました。 浅見五郎助、浅見勝也、大谷司朗、新庄貞嗣、田原陶兵衛、高橋楽斎、高橋光三、高本岩華、永岡定夫、中里文子、波多野善蔵、原史郎、森本英助、山田絵夢、山城建司の各氏(50音順)です。
あたらしい催しです。芦屋のどまんなかで、土をひねって遊んでみる。 山城先生は'48年函館生れで、京都の勝尾青龍洞に師事されたあと、'75年に兵庫県氷上町大八布に開窯されました。その後、内外で個展を開かれ'89年に春日町石才に陶房を移築されて、現在に至っています。上記「草花と陶芸の出合展」には第一回目から出瓶されています。 初回は花瓶。土台の上に細長くした土(まあいえば、太いミミズみたいな)を丸めて重ねて、丸めて重ねて、といった作業を私も腕まくりしてやってみました。見本のようにすっとした形には、やはりならず、難しいもんだと思いました。でも、おもしろいものです。次の機会には、どうぞご参加下さい。 上手でも私のような下手くそでも、遊んでいればよろしいのですよ。
野田燎さんのリサイタルも3回目を迎えました。なにをやるか、なにがやりたいか、がはっきりとつかまれた芸術家の雄々しい創造行為が、おどろくばかりの自在さをもってくり広げられました。一歩を踏みだした、という野田さんの覇気が、やがて11月のオーケストラを用いての「透明の影・いずみホール公演」に結びつき、若者たちの喝采を博することになったわけです。その日のことは次号に回ってしまうのが残念ですが、この夜のコンサートの一部が深夜スポットとして「読売テレビ」で流されていたことも、野田さんともども「やったね!」という感じでした。 イタリア、ドイツのバロックと、スペインと日本の現代。能舞台があるサロンの空間。白を基調とした舞台衣装もおもしろく、感覚のスクランブルをこどものように遊びながら、「ないものを見たい」という本能的な渇望が、とくに後半に入って全開されていたようです。 「透明の影」のなりたちについて、当日プログラムの拙文を引いておきます。
ジパング・コンソートとは、カウンターテナーからバスまでの6人の男声合唱団の名前です。安藤慎悟さん(カウンターテナー1)、納多正明さん(カウンターテナー2)、岡本雄大さん(テノール)、橋本夜話さん(バリトン)、山本佳人さん(バスバリトン)、灘井誠さん(バス)、いずれも関西の有力な声楽家で、ソロにオペラに活躍されています。 カウンターテナーは、ファルセット(いわば裏声)によって高い声域を出す男声で、16-17世紀の、とくにイギリスの教会音楽を演奏するにはこの声が必要です。 現代日本ではCDで聴くことができても、その生の声にふれるのは滅多に機会がありません。少年の声でも女性の声でもない、独特の美しさをお楽しみいただけたものと思います。 このコンサートでは、とくに橋本啓子さん(バリトンの橋本さんの奥様)と、木島美沙子さん(カトリック典礼聖歌のオルガニストとしても著名)にお世話になりました。感謝致します。 ウィリアム・バード生誕450年に寄せて 世の中で音楽の歴史はバッハから始まることになっている。 ドイツ中心の音楽の歴史が、音楽全体の歴史であるわけではなく、ドイツ一国をみてもバッハに100年先行するハインリヒ・シュッツの名が不当にも小さく語られていると思う。日本における「西洋音楽」は明治にはじまり、ドイツの一般的な音楽的教養がこの国の教育制度と結びついてしまい、そのまま現代に到っている。バッハは偉大であるけれども、われわれ東洋の人間の生みだしたものを含めて、人類の音楽の歴史はさらに分厚くさらに深い。 ときどき音楽を聴くことに飽きてしまう。 耳に快いリズムと和声と旋律のパターンが決りきっているからであり、現代に生きる無気力な作曲家はパターンを同義反復して一生を終える。それでも作曲家を名のれるのは、現代人の文化が肖費文化にすぎないからだ。 前へ進みにくければ後ろを向いてみればいい。うんと引きさがることで活路を見出した作曲家の前衛には、たとえばエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトがいる。 古楽を古楽として楽しむ、という立場があることは知っている。しかし、復古ということがしばしばやりきれなく感じられるのは、演奏するほうも聴く側も、すべて現代人に他ならないからだ。音楽会場は博物館ではない。現代の人間が現代に鳴りひびく音を鮮烈に創造しなければ、聞くものの耳をとらえることはできない。そしてウィリアム・バードはおよそ400年前、イギリスの当時の「現代」の音楽家だった。 不意の出会いだった。 中国系アメリカ人の友人に「さよならだからこれをきみに」と、古いオワゾリール・レーベルのLPレコードを3枚もらった。もう20年も前のこと。トマス・タリスとウィリアム・バードの宗教合唱曲が交互に入ったものだった。当時の私はたけだけしいロックと現代音楽に囲まれていたと思う。帰国し、さっそく針をおろしてみた。 虚を衝かれた。時間を忘れ、いる場所もわからなくなった。至純な歌声に聴き惚れて、水を浴びるようにバードとタリスの響きを浴びた。レコード棚に「バッハ以前」のものがぼちぼちと増えだしたのは、ようやくそれからのことだった。 (山村雅治 July, 1993)
幸田弘子さんは、'89年5月以来二度目の来演。「演奏としての朗読」を追求してこられた幸田弘子さんにとって、樋ロー葉はいわばライフワークといえる作家です。前回は伊藤京子さんのピアノを伴って、宮沢賢治とアナトール・フランスを読んでいただいたので、私自身もはじめて実演で「幸田弘子の一葉」に接することができました。 「毎日」の奥田昭則記者は、私などよりもはるかに年季のはいったファンでした。当夜も多忙のなかを駆けつけられ、打ち上げの席にも打ち上げ二次会の席にも同席して下さり、「奥田さんの幸田弘子」は、かくて「毎日」紙上に、美しい花束のようなオマージュとして結実したのです。
石川功さんは若いころ俳優としても活躍されたシャンソン歌手で、発声と息づかいとともに、長い手足と表情的な首の動きが、歌われる歌詞の中身を抉っていきます。語ってはならない歌と、歌ってはならない語りの漸近線を測る眼があり、噴き出してくるような歌声こそが、人間のシャンソンです。 なお、9月の会は主催者の都合で流会になりました。お詫び申し上げます。 いきなりで恐縮ですが、芝山幹郎さんの訳書『キャサリン・ヘプバーン自伝「Me」』(文藝春秋刊 \ 4,800)をご紹介させていただきたいと思います。 芝山さんは私の東京時代にもっともお世話になった方のひとりです。お目にかかって博学多才ぶりにびっくりして、それでもお話を伺ううちに、なんと芦屋市内のおなじ市立の小学校を卒業していたことがわかったりして、なまいきを絵に描いたようだった少年時代の私にとっては、浪人生として上京してほとんどすぐに芝山さんとの「出会い」が得られたことこそ、無理を押して東京へ来た理由だったのだ、と思ったほどでした。芝山さんはそのとき23歳、すでに「現代詩」の気鋭の詩人であり、私は18歳、「現代詩」かなにか分からない詩のようなものを書きはじめていました。 芝山さんに連れられて、いろいろな所へ顔を出しました。詩人たちがよく溜まっていた新宿の酒場、現代美術の展覧会場や、前衛舞踏の会場や状況劇場の不忍池のテントなど。だから私は亡くなった滝口修造、吉岡実、土方巽さんたちとおなじ場所の空気を吸ったことがあります。多感な時期に大きな「芸術家の気格」にふれさせていただいたことは、そのころからの私の大きな宝物だったし、いまの仕事にも役だっています。 あたしごとはさておき。 『キャサリン・ヘプバーン自伝「Me」』は、おもしろい本です。映画の好きな人にとってはキャサリン・ヘプバーンの映画を見ずにすますことは、笠智衆の出る映画を見ずにすますことと同じくらいむずかしい。あれっ、ちょっと違うかな。 「アフリカの女王」「女性 No.1」「フィラデルフィア物語」「愛の調べ」「旅情」「招かれざる客」そして「黄昏」などを通じて、とても長い時間をキャサリン・ヘプバーンは女優として生きてきました。女としての歯に衣をきせぬもののいいかた。鋭い感覚と観察力。それら女性の、それもアメリカ女優の独白体があざやかな日本語で表わされます。 「ジーンズより安い」と訳者からのファックスが届きました。もう一本のジーンズを買うことよりも、この一冊の本の方が時間を飽きさせないかも知れませんよ。巻末の関連映画人事典も、随所にワサビが効いて興味深いもの。映画史の視点が、いろいろな人物や事物のありかたを明らかにしているのです。 ついでに一言。'94年4月からサロン・シアター・シリーズと題して映画を楽しむ会を発足させていただく運びとなりました。「仕立て屋の恋」あたりから、ばちばちと幕開けしようと思っていますが、くわしいことはまた後ほど。
これは京都の朝倉泰子さんの企画。郡和樹さんは和歌山生れのヴァイオリニストで、90年からは澤和樹弦楽四重奏団を結成され、東京芸大で教鞭をとられるかたわら室内楽の分野においても活躍されています。留学先のロンドンから一時帰国した田中景子さんとの師弟コンビによる合奏はあたたかいものでした。 アメリカのロトさん、韓国の梁さん、そして澤さんによるチャイコフスキーが当夜のききものでした。剛直なチェロ、清らかに澄んだヴァイオリンを支えたピアノの響きのなんというやわらかさ。曲はチャイコフスキーの作品のなかでも癖がなく、「感情」と「効果」のすべてが、感じやすい作曲家の真率な奥底から聞こえてくるようです。 今年はチャイコフスキー没後100年。いろいろな「あたらしい噂」が新研究の成果として発表されています。「悲憤」交響曲の終楽章のテンポ指定が本来はアンダンテだったのだ、とか譜面上のことから、二人の弟たちと近親相姦していたらしい、とかいった生活習慣の事実発掘まで。ずいぷんと「女性週刊誌」的な情報があり、私などは芸術家は引き裂かれた内面の地獄をかかえる人ほどすばらしいものを書く、と考えていますから、ぬるま湯の社会常識に照らして芸術家の人間性を測りたくありません。 すべては譜面のなかにあります。チャイコフスキーは古今に独自の個性を誇る作曲家でした。人を殺してしまい、そののちに誰よりも深い響きの宗教合唱曲を書いたジュズアルドが独自の作曲家であったように。
かねがねサロンではチェコとスロヴァキアの弦楽奏者を招いてコンサートをやってるらしい、という噂を東京インターナショナルアーティスツの木村憲司さんがどこかから聞きつけられて、この企画を持ち込まれました。もともとこちらはそう大層なこともできず、やれるときにぼちぼちとやっているだけなのですから、「東京でもサロンのことは知られてますよ」と木村さんにいわれても、ほんまかいな、という感じでした。ほんとだったら嬉しいことです。若い木村さんの意気に感じたのと、それからたしかに「チェコとスロヴァキアの弦」は好きで、このコンサートは成立いたしました。 また、ピアノの三村和子さんも、じつはサロンには二度目の来演。ヤマハ主催の蒔絵ピアノのコンサートで、'87年9月にショパンを聴かせていただいておりました。あれから6年、若いピアニストの進境ぶりに接することも大きな楽しみでした。 ラッタイさんば65年から弱冠21歳で、ターリッヒ四重奏団のメンバーに加わった実力者。1699年製のストラディヴァリウスを持たれ、それがまた、とてもやさしい音色で歌うのです。ショパンコンクールで、かのフー・ツォンに支持された三村和子さんのピアノもチェロとすごく急が合い、6年前にくらべるとさらに音色が透徹して、したがってあらゆる和音がびしっと響きました。クランプとスルカは芦屋でだけしか演奏されてない(企画段階でプログラムBを選んだのは私だけでした。なんと惜しいこと!)ので、ことによると1928年生れのチェコの作曲家ロボシュ・スルカのソナタは、今回はじめて日本に紹介されたのではないでしょうか。ショスタコーヴィチが認めた才能です。 開館以来、サロンはいろいろな人、さまざまな先生がたのお世話になってまいりました。忘れがたい交流がいくつもあります。 芦屋在住の作曲家、龍野順義さんの今年の秋のご活動について、皆さまにご報告させていただきたいと思います。龍野さんはチェコの音楽家たちと親交が深く、1989年11月にヤナーチェク四重奏団公演のためにご尽力を頂いたほか、足まめにサロンのコンサートに顔を出して下さっています。 チェコのブルノでは、秋に国際音楽祭が開かれます。今年は9月30日から10月10日までの期間に31本ものパフォーマンスが開かれ、内容もオペラやバレエから小規模な室内楽、チェンバロ独奏会にいたるまで多彩なものでした。曲目のレパートリーもヤナーチェクを中心にしてモンテヴェルディからリゲティ、フィリップ・グラスに及ぶもの。 10月4日の月曜日はヤナーチェク四重奏団にとっては特別な日でした。かのトラヴニーチェクに替わり20年もの長い歳月を、同四重奏団の「第1ヴァイオリン」として過ごしてきたボフミル・スメイカルさんが、その活動の日々に終止符を打つ日だったのです。その記念すべき演奏会に、龍野順義さんが日本から招かれ、フログラム2曲目に昨年作曲された弦楽四重奏曲「ヤナーチェクの泉」が演奏されることになったのです。ちなみに1曲目はヤナーチェク「弦楽四重奏曲第2番」、しめくくりがフラームス「クラリネット五重奏曲」(ラインハルト・グッチィ/クラリネット独奏)でした。 音楽祭のフログラムに龍野さんについての紹介文がありました。まずヤナーチェク四重奏団との交流にふれられ、次に二世代にわたる日本の作曲家がヨーロッパのポリフォニーを修得し、すぐれた作品を世界中に送りつづけていること、龍野氏らはしかし、さらにヨーロッパ音楽文化の歴史にさらにクリエイティヴな方法をもって貢献されるだろうことが述べられています。そして、後段の曲目解説の部分のみ、訳出しておきましょう。チェコ人による英語からの意訳です。 「龍野の譜面にはヤナーチェクからの直接的な影響はみられない。そこにはモラヴィア地方の民謡が引用されてはいるけれども。組曲の4つの楽章は、それらの表現によって醸しだされる、それぞれの雰囲気に従っている。表現の全体は首尾一貫したものをみせていて、同時代の、なにかとても遠くで、とても近い、親密な関係が表わされている。『わかっているよ』と呼びかけたくなるような。」 ボフミル・スメイカルさんとアドルフ・シーコラさんの「第1」「第2」ヴァイオリンが、この20年のヤナーチェク四重奏団の演奏スタイルを支えてきました。龍野さんは彼らの理解と友情にこたえ、四重奏とヴァイオリンソロのための作品を書いてこられました。ほかのなにをも背負っていない、純粋な芸術家どうしの交流が貴重です。 スメイカルさんは今後もソロや教育の活動を続けていかれるとのこと。そして彼らと龍野順義さんとの交流も不変です。 プログラムに大きく載せられたヤナーチェク四重奏団と作曲家の写真は、同四重奏団手持ちのもので、1989年にサロンで撮影されたものが使用されていました。そのことも蛇足ながらあわせて記しておきましょう。 新人演奏会がいくつか開かれました。感想を求めてこられる熱心な方には、個人的に率直に励まさせていただいておりますが、総じていえることは「もっともっと場数をお踏みになること」です。つまり「赤の他人」の前に身をさらけだす機会の集積こそが、ステージアーティストを磨いていくからです。そして義理でもノルマでもない、純粋な表現意欲だけが舞台にあがる動機となったとき、「赤の他人」は心からの拍手を送ります。お化粧の具合や、きんきらきんの衣裳も、そりゃあ楽しまれればいい。自分を見てもらうのに快感を感じなければ舞台をおりられたほうがいい。しかし、外面だけじゃ駄目です。お稽古の成果を発表するのも結構ですが、ほとばしりでてくるような自己表現がないと、音楽を人前でやる理由がないと思います。皆さんの、ますますのご研錯を祈ります。おそらくどんな先生も、はげしくぶつかってくる気迫みなぎる学生ほど、たのもしく感じて下さっているはずです。大人たちはいま、若い人たちの元気がなくて、ちょっぴり淋しい思いをしています………
芦屋在住のピアニスト、深田尚子先生が主宰する「楽の会」も20周年を迎えていつもの会場をかえて「サロンコンサート」が聞かれました。深田先生がステージに出てこられると場内が明るく照らされたよう。スケールが大きく、華のある「舞踏への招待」。
盲導犬育成のために聞かれたチャリティコンサートです。アルカディア協会の中村八千代さんは、16日にシンフォニーホール公演に盲導犬同伴で視力障害者のファンを招き、17日にサロンで上記のような催しを企画されました。10月12日付の「夕刊フジ」の中見出しがふるっていました。いわく「ワンダフルコンサート」!
「河野保人ツィターコンサート」の主催者、黒田百合子さんは市内のボランティア・グルーフ「小槌」の会長として、活動される女性でもあります。もう10年間、目の不自由な人たちのために、雑誌や単行本の朗読録音テープを作っておられます。 いつのことだったでしょうか、黒田さんは拙著『宗教的人間』をおもしろいと思って下さり、そのおことばをありがたいものと受けとめていました。 残暑のころ、「小槌」の十周年記念誌が手元に届きました。添えられたお手紙に『宗教的人間』が「小槌」のボランティアの方によって朗読テープ化された旨、記されてありました。かさねて恐縮致しました。 私の親族にも年齢のせいで本が読みづらくなってきているものがいます。小さな活字が小さな虫にしか見えない、という視覚の状態は、私たちいわゆる「健常者」にも遅かれ早かれ、やってまいります。本に書かれたことばが、人の肉声にように語られるとき、本がもともと「語りもの」が書きとめられたものであったことを思いださせます。声に出して読まれてわかる本かどうかが、二本の「もうひとつの価値」を示しているのです。私の本がそうしたことに照らしでどうなのか。 黒田さんたちのボランティア活動にご興味のある方は、ご一報下さい。録音テープの目録には専門書だけでなく、ベストセラーもの、話題本もたくさん掲載されています。 |
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2012年 8月 15日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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