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暑中お見舞い申し上げます。 地震に台風、なかなか明けない梅雨。夏らしくない夏を迎えました。このごろ天候の不順や世情の不安定が気にかかります。 皆様お元気でいらっしゃいますか。 世の中の節目を選んで「会報」を出しているわけではないのですが、またしても「節目」にご挨拶をさせて頂くことになりました。サロンはかわらず元気に回転しています。 岩は転げまわっているかぎり苔は生えない、と申します。苔むす何とやらにはなりたくないので、昼も夜も「なにかおもしろい」ことをさがしています。 文化、芸術というものは人間の世界にまだたしかにあり、救いがたい商業主義と捏造されるスター崇拝に汚染されていない領域が、かろうじて残っているものと信じます。有名無名や有力無力は、じつは大したことではありません。それがかりに数の力によるものならば、いずれ数の力によって、たとえば、いつまでも続くものと思われた政権政党でさえ野に下ることになりました。 もっともっと、ずっと遠くのほうをみつめていたいと思います。 どんな地上の栄華も政治権力も永遠には続かないことを、昔の人は知っていて、芸術はしぶとく人生はあっけなし、という諺はいい得て妙ですね。だから打ちあけておくと
”ARS LONGA, VITA BREVIS” のラテン語が、最近の私の乱世を生きぬくための智恵のことばです。まあ、おおげさにいえば、ですけど。 七年目の半ばを歩むサロンは、景気の底冷えにおののく無数の市民と、結婚したがらず子供をつくりたがらない若者たちが住む街のなかにあります。人生の「意味」さえ揺らいでいます。はたらくことが何であり、生きていることが何なのか。面倒なことは一切考えずに一生を過ごすことができた社会のシステムが、ものの見事に瓦解しつつあります。 文化人および芸術家の真価が問われるのは、いよいよこれからのことです。力の底の底の「底力」にこそ、人間と人間の世界をよみがえらせる根源的な力を期待することができます。ひかえめに、サロンは「底力」の後押しをしていくつもりです。 この胸突き八丁の上り坂のむこうに、なにが待つのか。先回りして、いろいろとお見せできれば……と夢想しますが、さてさてお楽しみはこれからです。 (山村雅治 Aug. 1993)
毎回、色紙になにかを記毫して頂いていますが、「八十翁」記される年齢をお迎えになりました。淡斎先生はまったく変わられません。 「花に遊ぶ」ということばは「花と遊ぶ」とも「花を遊ぶ」ともちがいます。淡斎先生が付けられたこの会のサブタイトルですが、「花」を「自然」と読みかえれば、花と交流される先生の懐の深さがおわかり頂けるものと思います。「自然と人間」などというテーマは、もともと西洋のものなのであり、対立するものではないのです。
12月はクリスマスパーティ。岩永博一恵美子ご夫妻と、門下のプロのコンビによるデモンストレーションがあり、はなやかに芦屋の夜が盛りあがりました。
料理人の世界では「海の水の塩からさ」とか「耳たぶのやわらかさ」という表現があります。味覚を数値で示すことは野暮であり、いい味は季節により、気温によりちがいます。だから教えられない。盗んでいく他ありません。それに加えて味覚もまた人それぞれ。自分の生来の味の好みをそのまま出して喜んで下さるお客さまと、好みを滅却して味を創造してはじめて喜んで下さるお客さまと。 嘉手苅さんとはよく話をします。ものをつくる人間としての悩みと楽しさ。日々に地獄と天国が背中あわせに潜んでいる「人生の味」について。
「サックス・リサイタル」シリーズの番外篇。二人のアメリカ人をお招きして、音による現代の「アメリカの空の色」が展開されました。テューラーさんのやさしくて柔らかいトランペットは、この楽器のイメージを塗りかえるほどで、めったに聴けない「繊細な金管」の美しさに酔わされました。憂いを秘めたユニークなトランペット! ゲイリー・スマートさんはジャズミュージシャンとしても名高く、ときには豪傑ふう、ときには思いきり甘く響かせるという多彩なピアノそして野田燎さんのサックスについては、ご存じの通りです。千変万化する音楽の色を自ら創造され、各パートの干満の妙も計算されていながら「ぶっつけ」の合わせる楽しさに溢れていました。 「ドラキュラの午後」はあっといわせるパフォーマンス。ステージ最後に ” Old ragtime
to our time” がテーマの三人の即興演奏。音楽をやる楽しさがダイレクトに伝わり、音楽を聴く喜びに客席は沸きました。「音楽会でのれたのって久しぶりだね」と家路につかれるお客さま。情熱も生きる寂しさも、すべてを舞台の上に燃焼させて下さった三人の音楽家にブラヴォーです。 そして「アメリカの空の色」はどうだったかといえば、青く脱けて晴れていました。少なくとも市民の交流レベルでいえば、どこまでも障害がなく底なしに明るいものでした。 アメリカの空の色 アメリカの空の色は明るくて陽気だった。私の知っているアメリカはバークレーとサン・フランシスコを中心とした西海岸の諸都市にすぎないけれど、当時は街のどこでもスコット・ジョプリンが流れ、ニクソン弾劾のニュースに沸き、建国200年のお祭りの準備におおわらわだった。 高層のビルに友人が住んでいた。あたりは夕暮れになり、どこからともなく霞がかかってきた。きわめて低い雲にビルが包まれることがある。日本人のおまえに、と出されたカレーはおもいきり辛くスパイスをきかせた透明なスーフであり、カリフォルニアのその頃の米は乾したもののように固かった。口が火事になった辛さと、友人の異国人をもてなす思いやりのやさしさに、涙が出そうになってしまった。 アメリカは変わっただろうか。 アメリカ人は変わっただろうか。 私の青春にアメリカがあった。大きくて、力強くて、正面から意見をいえば正面からいいかえしてくれる、いわばフェア・プレイとオープン・マインドの精神は、多くのアメリカの友人たちから学んだものだ。 音楽は個人に根ざす。今夜のコンサートはひとりの日本人と二人のアメリカ人による、特色あるものとなった。実力者がそれぞれに自分を生きれば、たくまずして高いアンサンブルが生れる。今夜私たちの頭上に広がっていく「アメリカの空の色」はどんなふうに輝いて見えることだろう。
1953年横須賀生まれ。1970年音楽コンクール優勝後、南カリフォルニア大学でハイフェッツに師事し、渡欧後オークレール、イラフ・ニーマン等名手の薫陶を受けた。グラナダ国際コンクール優勝など世界の主要コンクールに上位入賞を果たしている。1975年ロン=ティボー国際コンクール第3位、1978年チャイコフスキー国際コンクール第5位、カールーフレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール第2位、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクール第4位、1979年フリッツ・クライスラー国際ヴァイオリン・コンクール第4位、1980年エリーザベト王妃国際音楽コンクール第3位。 ロイヤル・フィル、BBC響、ロンドン響などとの共演も多く、ロンドンを中心に高い評価を得ている。1990年より東京芸大助教授。 山村サロンには2度目の来演。バッハだけの再びの「とぎすまされた時間」でした。それにしても、バッハを聴くたびに謎が深まります。およそ300年も前の音楽ですが、ふしぎにおもしろい。シリーズをはじめた頃はいつまで続くか、という声も頂戴しましたが、どうやらどこまでも続くようです。ごくきりつめた編成で「マタイ受難曲」、などという酔狂も考えています。 昨年9月のプログラムに寄せたエッセイを再録いたします。清水高師さんへの「応援歌」のつもりで書いたものです。
エルンスト・ヘフリガーさんをサロン玄関にお迎えしたとき、もうそれだけで胸が熱くなってきました。このコンサートを開くために広告を出し、ご覧になった方からお問合せを受けるたびに、ファンの皆様の「ヘフリガーさんの歌」に寄せる思いをかみしめたからです。 私にせよ、LPレコード時代から折にふれて耳にしたヘフリガーさんの、実際の姿と声に身近に接した、という喜びはもちろんありました。しかしそれよりも、70歳をこえた老テノール歌手が、いまなお新しい領域に取り組まれていることこそ瞠目に値します。 明治以来の私たちの「洋楽」の先達たちが作ってきた歌曲の数々を、ヘフリガーさんは母語であるドイツ語で歌っていられます。昨年来の報道、テレビ放映、CD発売などを通じて、かなりの人がお聴きになったことがあるのではないでしょうか。私たちが教室で「歌わされた」これらの歌曲があらたに蘇ったようでした。今回の舞台では、CD録音よりもはるかに自在に「日本歌曲」の表情を楽しんでいられるようでした。ピアノの岡田知子さんには、ピアノだけでなく「同伴者」「通訳」などなどすべてにわたってお世話頂きました。 それにしても、一本のコンサートを成立させるには、いろいろな困難な要素が待ちうけています。サロン主催の音楽会ではありますが、ヘフリガーさんをお呼びできたのは、ひとりの音楽ファンの熱い声と勇気ある行動のおかげでした。当日のプログラムに書かきていただいた文章を再録いたします。
ずらりと並んだプログラムは、ラッヘンマンとリゲティ、ノーノを除いて若い日本の作曲家の、生れたばかりの新作揃い。まぶしいばかりに意欲的なコンサートでした。大井浩明さんも、第20回フランス音楽コンクール第2位(日仏音楽協会賞、フランス総領事賞)を受賞した若いピアニスト、あちこちで現代音楽を中心に演奏活動を展開されています。 ピアニストが人前に立つときには「なにがやりたいのか」がはっきりしたプログラムをもつことが重要です。大井浩明さんは強い意志をもち、だれも弾かない音楽をどんどんレパートリーに加えていかれます。新作のなかには、前夜の夜にやっと楽譜が届いたものもありました。彼や若い作曲家たちの活動の場が、さらに広がっていくことを祈ります。
スイスから来日された女流クラリネット奏者ガンターさんと、ドイツからのピアニスト、シュマールフースさんのデュオの一夜。 企画されたリヒャルト・フランクさんもスイス人であり、プログラムには珍しいスイスの音楽が入りました。ラウバーとモッテュは今回はじめて日本に紹介されたのではないでしょうか。
西田博氏は東京芸術大学を経て同大学院を修了。1974年渡欧し、T.ヴァルガ、W.シュナイダーハン、H.シェリング各氏に師事。76年サヴァリッシュ氏の推挙によりバイエルン国立皿席奏者に就任。ミュンヘン音楽祭で宮内楽を演奏した。79年エッシェンバッハ氏に迎えられラインラント・ブファルツ国立フィルハーモニー第一コンサートマスターに就任。海外各地と日本国内で精力的な活動を行なう。現在、1989年に就任した東京交響楽団第一コンサートマスターを務めておられます。 グリークの音楽の知られざる美しさ。あまり人が知らない曲をレパートリーに持たれる西田さんは、ブゾーニのソナタだけで一枚のCDを出しておられます。 (「みやびの会室内楽シリーズ」T 制作/キディアーツ)
日本の文学者のなかでは坂口安吾をもっとも愛する、という石川功さんの舞台は磨きぬかれた「スタイルの芸」。 生きることと歌との距離をすばやく測りつつ、あってはならない距離をつめ、なければならない距離を置き、そこにしか立ち得ない舞台がぎりぎ力の座標の点になる。足元に切先があり、重心が傾けばただちにからだごと沈んでしまう。ガラスのように脆く危うい人間のこころを、一曲一曲に歌いわけていく表現の強さとすこやかさ――― 満を持して、この9月にはサロン主催の石川功さんのシャンソンコンサートを開かせて頂くことになりました。9月2日の木曜日です。
シャンソンの世界では田中朗さんもユニークな地位を占めていられます。ピアノが響きはじめ、独特のくぐもった声でフランス語の歌がはじまると、もう他のだれでもない「田中朗のシャンソン」が胸に沁みこんできます。
クレアリー和子さんは大阪生れ。大阪音大を経てボストン大学演奏科卒。ジーン・ベーレンド、エドワード・ワイスに師事。ハーバード大学サマースクール作曲科修了。ボストンを中心に演奏活動を行なってきた。現在はサンフランシスコ在住。ホーリィネームス大学でピアノを教えるとともに活発な演奏活動を行なっておられます。
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1993年 8月 1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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