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<< Vol. 8 1992後期- Vol.9 Vol. 10 >> |
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あけましておめでとうございます。 つつがなく新年を迎えさせて頂いたこと、みなさまのお蔭と衷心より感謝申し上げます。
このところ世情は騒然として、日本も世界もますます「お先まっくらやみ」の様相を呈して参りました。人間には太平の世に力を発揮する「太平型亅と、乱世にこそいきいきと自己を表現できる「乱世型」があると思っていますが、さて私など、じつはいまの世の中で仕事ができることが楽しく思えて仕方がありません。 もちろん不景気のことも重税のことも知っています。不信と怒りと涙のことも。そしてそうしたなかで、変わらずにどこかで人が生れ、人が老いていくことも、私はよく知っているつもりです。 泣くがいやさに笑い候(フィガロ)、ということばをご存じでしょうか。その笑いは涙をにじませて美しい。けれども、ここに、どんな他人ともつながっている、という感覚がありますサロンの活動はその感覚の、いくたびもの認識の連続です。だからいつも私たちは笑っています。泣きを嫌うからでなく、笑っているほうがいいからです。
今年は過去数年間にもまして、たいへんな一年となりそうです。「えらかった人たち」の積年の不手際が、市民生活をたいへんなものにさせてきたとすれば、今後は誰も「えらい人」になろうとするべきではない。少なくとも、みんな同じ地面を歩いていることを知っている人でないと、その人がつくりだす政治も文化も芸術も、すべてにせものであるしかないのです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 今年一年が皆様にとり、お幸せな一年でありますように。
村山リウ先生に接し、お話を伺い、お人柄にふれさせて頂く。むかしのような「源氏物語」の頁を追っての講義からは離れて、時事や思い出話などを織りまぜての自由な座談に、今なお「今回がはじめて」という新しいお客様がお見えになりました。 惜しくも残暑のころに中断の止むなきに至りましたが、ふたたびお元気な先生をお迎えする日の近いことを願ってやみません。
社交ダンスが教育のー環として、学校の場でとりあげられることになったことは、社交ダンスにとってまことに喜ばしいことです。男子校、あるいは女子校ではどうするんだろう、と余計な心配をしてしまいますが、「交流」すればすむことです。 現在は社交ダンスを楽しまれる方は、比較的中高年層にかたよっていますが、やがて若い人たちもこの集いにどんどん参加されることでしょう。
七月には恒例の「草花と陶芸の出合展」が併催されました。「茶道」をめぐる文化の奥行きとひろがりには、目をみはるべきものがあります。一服の茶をたのしむために、室をこしらえ、掛軸をかけ、土をひねり、花を活ける。じつに豊かな時間であり、主客の役割もときを変え、いれかわることによって、人間の世界について多くのことを教えてくれます。 お茶花はそのひとつ。陶芸もそのひとつ。名人がいて、達人がいます。けれども、いつまでも飽きられない造形のありかたは、意外にもふつうで平凡な外観をもっているようです。
好評の「和食の会」は、芦屋で北浜の料亭花外楼のお料理をたのしめる、ということで季節に一度お集まりいただいています。 秋は秋なす。松茸に栗に銀杏。魚もこの日には川津海老、鯛、魴、秋刀魚、太刀魚などが並びました。一品一品に、嘉手苅料理長のわざと心意気。大きく眼を開いて、お料理の説明をされる姿は実直そのものであり、およそ混じり気というものを感じさせません。惜しくも阪神タイガースは優勝を逸しましたが、彼の応援ぶりもまた一途で純粋で、身も心もくじけはてたような様子には、さすがにかけることばを失ったほどでした。まあ、明日がありますから―― 食前酒はクコ酒をベースにした太田店長特製のカクテル。ハーベスト・ブラウンと命名されました。
自主講座シリーズ第4回は、小田実さんと玄順恵さんご夫妻の企画により、韓国の文化人と「在日」の文化人をお招きして、文学と音楽による交流の会を開きました。小田さんご一家は92年に訪韓されましたが、日韓交流史上にのこるものとなりました。 秀吉の朝鮮侵略の開始から四百年にあたるこの年、小田実さんは小説「民岩太閣記」を日韓で同時出版され、日本が朝鮮になにをしたのか、してきたのか、を鋭く追求する日本人作家の姿勢を示されました。「オモニ太平記」(ともに朝日新聞社刊)の韓国語訳もおなじ時期に韓国で出版されましたが、こちらのほうは強引に日本に連れてこられた「在日」の人たちのことが、暖かく描かれているものです。 私たち市民はだれでも、世界中の市民は兄弟であり姉妹であると思っている。しかし同じ皮膚の色、似たような顔、共通の文化をもつ隣同士の日韓両国の関係の、この「疎通不能」の外交のありさまはなにごとでしょう。従軍慰安婦とはどんな人たちなのか。もし自分が、自分の母や姉妹が從軍慰安婦だったとすれば、その恥辱をどう生きていくのか。その心がいちじるしく欠けています。 芸術は、ときに断崖を飛びこえさせる力をみせます。断崖とは国どうしのことでもいいし、外国人どうしのことでもいい。同じ国のなかにいてさえ、個人と個人のあいだに断崖を感じることさえあります。きわめて孤独に紡がれた糸のやわらかさややさしさが、ふと肺腑をえぐる表現に変貌するときがあります。高銀さんの自作朗読。金成亀さんの朝鮮の音感を生かした独自のジャズ・インプロヴィゼーション。固唾をのみ、ことばを失い、私たちはただ呆然として目を赤くしているのみ。 全体の構成と司会に心身を砕いて下さった玄順恵さんは、民族衣裳をご用意下さり、私たちの目をおおいに楽しませて下さいました。
D.デル・トレディチさんは現代アメリカの作曲家/ピアニストで、’80年ピューリッツァー賞を受賞されています。滞日予定に合わせ、ニューヨーク時代の旧友であった三宅榛名さんのご尽力で、急拠このコンサートが実現致しました。新聞にも報道されたので、その様子を読まれた方も多かったのではないでしょうか。 デル・トレディチさんの音楽は「コープランドなどアメリカの正統的な現代音楽の流れを引き継ぐ」とされますが、どこかラフマニノフ風の「巨人型」ピアニスト/作曲家の味があったことが、おもしろく思われました。「4つの幻想曲」が、私たちがはじめて耳にした彼の作品でしたが、若い時代の作曲家の「生地」が伺われる佳曲と思いました。 三宅榛名さんはこの日のステージに、いつもと同じく「存在」をはげしく燃焼させて下さいました。いわゆるピアノ、いわゆる音楽を脱して、人が「表現する」行為の恐ろしさ、不気味さ、救いのなさまで降りきり、そのようにして示された「たったひとりの人間がかく生きている」強さとやさしさに打たれました。連弾の三曲においても同じです。 孤独の深さにおいて、芸術が研ぎ澄まされていく他ないものだとすれば、私たちの地上の地獄にだって、このようにして美しい歌がとどいてくることもあるのです。
かなりの時間に及ぶ対話をかさねて、人間の感覚を総動員して楽しんで頂くコンサ―をつくりあげました。音楽は聴覚。絵は視覚。絨毯は触覚。プログラムもぜいたくに、地球のあちこちから曲を集めました。野田さんがプログラムノートに書いていられます。「想いつくとすぐにやってしまう。これは大切な事です。芸術家だからではありません、ただしたいからです。」 場内にはペルシア絨毯が敷きつめられ、観客は靴を脱ぎその上に座ります。ところどころにヤシの実のような石ころのような木を削ったオブジェが置かれ、壁面には大きな抽象画が美しい色彩を放っています。太鼓のリズムにはじまり、めまぐるしく「人類」の音を駆けぬけ、ゲストの音楽家たちも存分に力を発揮して下さいました。 野田さんはサックスを吹かれ、アフリカンドラムを打たれました。リズムが呼びおこす原始のよろこびは狂気や官能に接し、ついに突きぬけて、天高く舞い上がっていくかのようでした。生きること。生きていること。繊細に、峻烈に表現しぬく「音楽」の底知れなさ。
今回のバッハ・シリーズでは、これまでありそうでなかった無伴奏のヴァイオリン作品を楽しみました。羊腸弦を使われた高橋さんのストラディバリウスはステージが進むにつれ、よく鳴り、よく歌い、尻上りに調子を上げられました。その頂点に「シャコンヌ」! 羊腸弦を用いると音程が決りにくくなる、という機能的な弱点がありますが、それにも替えがたく豊かに響く音色が美しい。高橋さんは現在独奏、室内楽(プレアデス・クァルテットを主宰)。教育などの諸分野で活躍される音楽家ですが、ステージには一切の虚飾なく、きわめてひたむきな、ひとりのヴァイオリニストとしての生地を惜しげもなく見せてくれた気がします。
「研ぎ澄まされた時間(とき)……"Concentration"」と企画者によって。副題をつけられたこの音楽会は、古典から20世紀までの無伴奏ヴァイオリンのための音楽が集められました。それぞれに創意と工夫があり、楽器との格闘があり、音楽史上の傑作に数え上げられるものです。 清水高師さんは1970年、高校3年のときに日本音楽コンクール優勝、その後はカリフォルニア大学でハイフェッツ、渡欧してオークレール、ニーマン等の薫陶を受けました。演奏活動は世界的な広がりに及んでいます。 バルトークの人と作品に、ざっと20年くらい前にのめり込んでいたことがあります。厳しさも悲痛さも美しさも、痛烈な皮肉も冗談もペーソスも、いずれも独特の人なつっこいハンガリー人の肉声で語られる。引き裂かれそうな悲劇に見陣われ、耐えぬいた人の音楽です。当夜の私個人にとってのメインプログラムがこの曲でしたが、潔癖にして誡実に、まずは理想的なバルトークの音の構築を聴かせていただきました。ヴァイオリンの完璧な技巧を通じて見えかくれする、棘のように痛ましく突き剌さってるバルトークの魂。 ほかの曲目での清水さんの演奏についても同様です。’93年4月29日に今度はバッハのみで演奏会を開くことが決まりました。
昭和の音楽界を築いてこられた田中園子さんは、1938年日本音楽コンクールに優勝された後、ステージに放送に大活躍され、ことに木琴の平岡養一との共演は有名です。出身校、旧制兵庫県立第二高等女学校は神戸にあった名門であり、この日も同窓生の方々が、田中園子さんとのなつかしい再会を喜んで下さいました。 舞台に花を添えて下さったのは、第1ステージが高橋満保子さん。切れ味のいい節回しと呼吸の自然さ。第2ステージに声楽界の重鎮、伊藤京子さんをお迎えできたことも喜びでした。長い年月を研鑚されてきたソプラノの声には、揺らぐことのない安心感があり、日本歌曲のひとつの「規範」をお聞かせ頂いたように思います。
前回にひきつづいて、野田燎先生門下の俊秀たちが集い、一夜の演奏会をくりひろげました。若い音楽家にとって、なによりも大切なことは場数を踏むことです。今後のいっそうの活躍をお祈りします。
ヤナーチェク弦楽四重奏団第一ヴァイオリン奏者、スメイカルさんは四重奏団として来演された1989年につづいて2度目のステージ。情熱家であり、名高い小品「ユーモレスク」も独特のテンポとフレージングの変化をもって弾かれました。 芦屋在住の作曲家、龍野順義氏の作品はチェコではよく演奏されている、とのこと。なにをも背負わない民間の一市民が、チェコの音楽家と長期間にわたり交流を進められてきたことに敬意を表したいと思います。文化交流の基本をひとりで歩まれているからです。
竹屋茂子さんは秋田出身、ハンブルク国立大学卒業後、ドイツ内外で活躍されるピアニストですが、不思議な縁あって、ポドホランスキーさんとの二重奏の夕べを開催させて頂くことになりました。ポドホランスキーさんは1951年ブラティスラヴァ生れ、スロヴァキアの人。モスクワのチャイコフスキー音楽院を卒業後。ヨーロッパ各地で活躍されています。演奏はいずれも芯をつかみきった迫力と、高い技巧に支えられた繊細さをあわせ持つもの。 1992年サロンには、まずノヴォトニーさん(ヴァイオリン)、次にスメイカルさん(ヴァイオリン)、そしてこの日のポドホランスキーさん、と計らずも「チェコスロヴァキアの弦」を楽しむ機会に恵まれました。現在かのドプチェク氏も他界し、かの国は「チェコ」と「スロヴァキア」に分かれようとしています。 ゴダールは、おそらく初めて紹介される曲目ではなかったでしょうか。1956年生れの作曲家の1985年の作品。終演後きかせて頂いた話では、ヴィクトル・シクロフスキイとは「アンティ・コミュニズム」の活動家の名だ、とのことでした。
営々と回をかさねて、回の合間に人生の「いろいろなこと」を織りまぜながら、絶望と望み、傷と回復、闇と光と深淵と諧謔の大きな距離をめまぐるしく行き来して、そのたびに石川功さんは歌唱の細部にきらめく「詩」を、逞しい表現をもってステージに臨まれました。生きる場が板の上にしかなければ、板の上の彼こそが彼なのです。 一般にはよく知られていない古いシャンソンの紹介には、歌への愛がみなぎり、誰でもよく知っているシャンソンでは「俺はこう歌う」という主張のはげしさに打たれます。歩みは淡々と。継続の力を実感せずにはいられません。
縁あって、紙ふうせんの後藤悦治郎さんから「カントリーの音楽をやる適当な場所」としてサロンに連絡が入りました。「五つの赤い風船」時代の後藤さんの歌は、AMラジオを通じてしばしば耳にしていました。自然を愛する心やさしい青年として、彼はいまも活躍しています。 Rattlesnake Annie と綴るインディアンの女性シンガーは、マンハッタンの有名なローン・スター・カフェに30回以上出演し、ナッシュビルのコロンビアレコードと契約を締結する実力者です。芦屋ではめずらしいカントリー&ウェスタンのコンサート場内は沸きました。
邦楽を愛好される方がたくさんお越しになりました。この会も四度目を迎え、丹念に考えぬかれた完成度の高い舞台を見せて頂いております。伝統芸能はもともと私たちの祖先が創造し、厳しい稽古を通じて現代に継承されているものです。なんとなく遠ざかっている感じがするのは、音楽教育やテレビ番組から遠ざかっているためにそう感じてしまうだけで、現実はちがいます。なお盛んであると認識するのが妥当であり、邦楽の響きを、心のなかではたくさんの人びとが、なつかしく求めているのではないでしょうか。
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1993年 1月 1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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