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暑中お見舞い申し上げます。 ご清祥のこととお慶び申し上げます。 とはいえ天候はどこかしらむかしの夏らしからず、あちこちで不順が嘆かれています。世情の不安定におてんとうさまがしびれを切らせて、なにかお知らせ下さっているのでは。
サロンは世の中のまっただなかにありながら、どこかしら陽気に泳いでいるようであり地価や株の下落すなわちバブルも、もともとそうしたことをやる才覚がなかったお蔭でかすり傷ひとつなし。見抜いていたわけじゃありませんよ。疑っていただけです。
ただ、どんな仕事にも世情の反映があります。まる五年続けてこさせて頂いて、日本の経済の仕組み、はっきりいえばからくりも肌で体験できました。かなりいんちきな部分が多い。それは文化や芸術の分野でも 同じような様子です。だから自主催事には、歴史に翻弄される個人としての私なりの思い入れがにじんでしまったかも知れません。
いつの間にか世の中にたそがれが忍びよってきています。 けれども、経済と軍事の力の「神々のたそがれ」のてんやわんやとは裏腹に、いつも、いつまでも元気なのは、結局はひとりで立ってひとりでものをいう個人です。文化も芸術も歴史も、そんな個人がつくります。 地上の全体がサロン化すればいいと思う。 いずれ、そうなるでしょう。
あたらしい時代をきりひらくことができれば、と祈りつつ。 心から感謝申し上げます。よろしくお願い申し上げます。 山村雅治(July 1992)
メンバーズ・イヴェント
送り迎えの車中でもれ承るのは、ご自身の「老い」に対する鋭い観察と省察であり、老いを迎える人間のからだの場所に順序があること、それはいくつかの段階を踏んで進行していくこと、などのお話です。驚嘆すべきはサロンに到着されて皆様に向かわれたときの気力。つねに何事かを語りかけてやまない精神のかが やきは、なお強靭なものをみせられ、「源氏」をからだじゅうで読みこまれてきた細部にいたる記憶力もさることながら、語り口調を通じて打たれてしまうのは、やはり「女性」としてのみずみずしい感性です。
社交ダンスの音楽にも変遷があるようで、ときにはビートルズのナンバーがジルバやブルースに編曲されたものがかかります。ロックを聴いて育った年代もそろそろ五十歳に手が届こうとしているいま、かつてのゴーゴーやツイストの流れにある、現代のディスコミュージックには到底ついていけません。感覚はともかくとして、からだが、です。今後も時代のはやり歌を吸い上げながら、ダンス音楽はさらに多様な作曲者のひろがりをみせていくことでしょう。 タンゴの巨匠アストル・ピアソラが先日亡くなりました。慎んで冥福をお祈り致します。
嘉手苅豊さんは、アイル・モレ花外楼芦屋店の料理長です。料亭花外楼、北浜の本店で鍛えられ、ひとつの店の味を任せられた実力者てす。じつに真面目で一途な人ですが、マジメばかりではありません。 阪神タイガースの熱狂的なファンでもある彼は、私とビル内のテレビ画面の前でよく会います。もちろん、寸秒の空き時間を縫って試合経過をながめにいくわけですよ。お互いはすごく忙しい(念のため)。 亀山や新庄ら若手の台頭、仲田や中込や湯船ら投手陣の好調。今世紀中には優勝はあり得ないと目されていたダメ虎ですが、ことによるとことによります。嘉手苅さんの包丁もいよいよ冴えわたることでしょう。決め球で三振に打ち取る投手の気迫も、逆転サヨナラヒットを放つ打者の根性も、技にたましいを込めていく職人の気概も、すべて嘉手苅料理長のものでもあるのです。
淡斎先生がお見えになると、場内はお日さまが射しこんだよう。すなわち明るくにぎやかで、屈託がなくなります。お茶花は野の花、山の花。お日さまに呼ばれ、雨に打たれてみずからの姿を現わします。ときどき山を歩きますが、おや、こんなところに、と花をみつけると、花が喜んでいるようにみえたり致します。たぶん、そういうことなのでしょう。美は、そっとやさしく、毅然として、そこかしこに咲き乱れているはずです。
久々の簑助師匠のご出演です。舞台に立たれると、花。 人形を使ってのいろいろなお話や、実演は酒屋のお園と四季の寿の万才を見せていただきました。文楽界では随一の人気者の師匠も、いまや風格を感じさせられ、大家への道を着実に歩んでいられるようです。 簔助師匠の本が出版されました。「頭巾かぶって五十年」というタイトルで、淡交社刊。\2,000。書店あるいは文楽劇場の売店でお求め下さい。
能を実際の能舞台で鑑賞する機会を、ふつうはあまりお持ちでないと思います。家族が稽古に励んでいるとか、知り合いが出るとか、むかし習っていたことがあるとか、なにかきっかけがないと、なかなか湊川や大阪まで足は向きません。幼稚園のころから、野球のほうが楽しくなった小学4年のころまで仕舞を習ったおかずで、謡や囃子のひびきは耳になじみのあるものです。それはそれとして、サロンに能舞台を作りたいといい出した張本人である母は、かれこれ30有余年を能楽の稽古に素人として積み重ねてきた人で、ここにお呼びした先生方はいずれも直接あるいは間接に私淑させて頂く師匠がたでもありました。客席にははじめて能をご覧になる方もたくさん見え、ご趣味として研究を続けられている宮原繁氏(宮原文庫については拙著「マリア・ユージナがいた」の中で紹介させて頂きました)のような長年のファンも来られ、このような会はぜひ続けていければ、と願ったことでした。
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自主講座シリーズをいよいよ始めます。市民文化の創造といったことをずっと考えていろいろな催事を開館以来展開してまいりましたが、5年目の節を迎えて。日本は、そして世界は、ますます先の見えない混迷の蟻地獄に落ち込んでいくかのようであり、過去のどんな時代にも増して「澄みきった、はっきりとした」ことばが求められているように思えます。流れに身を任せていれば自分だけは大丈夫、という楽天主義者の方には御用のない講座です。けれども皆さん、人間について、世界について、誰かと語りたいとお思いのはずです。語り合いましょう。古代ギリシアの市民たちの自由の広場「アゴラ」をめざしたいと願います。人間が人間であり、世界が世界である、その実感を私たちが喜びをもって抱きしめることができるその日まで。
言論は表現は自由であり、それは不断に私たちが自由な言論と表現を行使しているかぎりにおいて、理念と内実が一致します。知らぬ間に、私たちは私たちのことばを見失ってきているのではないでしょうか。立場でのいいわけがあっても個人としてのことばがない。いいようなわけは、みんな聞き飽きています。 現代は不気味な時代です。いいたいのにいえなく、見たことを見たといえなく、聞いたのに聞いたといえない。得体の知れない変な時代です。「さわらぬ神にたたりなし」と「出る杭は打たれる」を二大標語に掲げて、ひたすらにどこの誰を喜ばせているのでしょうか。
ことばが死滅した、いまは闇夜だと信じたくはありません。かつてことばが人びとの目を覚まさせ、人びとをして未来を拓く止むに止まれぬ行動に駆りたてたことは忘れたくありません。書くことがまず行動でした。語ることが次の行動でした。そして延々たる対話が生れ、時代は地底から徐々に、いまもたしかに変わりつつあるのです。 自分のことばでものを考え、表現する。市民の市民による市民社会は、それぞれの個人においてそれが達成されないかぎりは成り立ちません。どの個人もほかの人びととの対話を重ねることで自分のことばを獲得していきます。この講座シリーズは、だから「対話篇」として、私にとっては続けられていきます。
拙著「マリア・ユージナがいた」(リブロ社刊)を介して、小田実氏の知遇を得ることができました。文学も芸術も市民運動もひとつに渦巻く大きな人です。山村サロン自主講座のこれからの企画は、小田実氏との対話の成果であり、氏のあたたかいご厚情に支えられてのものであることを付言しておきます。 (山村雅治 Dec.23.1991)
このシリーズはひょんなことで、またたく間に話がまとまり、市民の市民による市民のための講座シリーズが始まりました。プライヴェートにお話させて頂く小田さんは、じつにやさしくおもしろく、ときにはナイーヴな表情さえ見せて下さる文学者です。 ときにテレビ画面でお見かけする「こわもて」ぶりも、じつはあまりにやさしい人だから怒らずにいられない、という種類のものであり、私などにはよくわかります。日本中が一色に染めあげられそうな現代で、個人において、いうべきことをいいまくっていられる文学者はこの人くらいではないでしょうか。
文学になにができるか、ということに興味があります。文学の可能性とその到達については、たとえば小田さんの近作「ベトナムから遠く離れて」(講談社刊。全3巻)と「民岩太閥記」(朝日新聞社刊)をお読みになればいいと思います。歴史と個人とがぶつかりまじわり、はねのけあう、すさまじいダイナミズム。ワタクシ小説のチマチマとはおよそ無縁の、スケールの極大な文学作品がここにあります。小田さんの小説も、ぜひお読みになって下さい。おかしくて笑ってしまう場面もシーリアスな局面も、創造されていく「小説世界」のすべての細部は独自の濃密な文体に運ばれていき、およそ飽きることがありません。
大家巨匠とお呼びしなければならないお二人、久野収、中村真一郎両氏の会については、新聞切抜きを「号外」として添付しておきますのでご参照下さい。私自身は、うっとりしっぱなし。陶然として全身を耳にして傾聴させていただきました。これでもむかしは文学少年でしたから。
音と動きと詩による時空間、とサブタイトルが付けられました。三宅榛名さん(作曲家/ピアニスト)のシリーズではゲストに音楽家をお招きするのが、音楽会でもあり通例でしたが、今回はじめてダンサーが招かれました。 角正之さんのダンスは、いわゆる古典バレエでもなく、さりとて山海塾に代表される舞踏でもなく、独自のモダンダンスの踊り手です。ダンサーのからだつきと動きについてはむかしから興床がありました。無駄のなさが好きなのですが、指や腕の角度に意味があり、足の上げ方やからだのよじれ具合にもことばがある、といった繊維な芸術に魅せられてきました。
当夜はダンスは平土間、ピアノが舞台。はじめての試みでしたか、はじめての試みだけに、出演者も客席も一体になって楽しんでいる空気がながれていました。即興に物怖じしない、というのは生来の芸術家の特性でもありますが、客席までもそれを楽しむ、という風景はサロンならではのことでしょう。角さんのダンスでは舞踊の修錬の上の自由さが魅力的であり、演劇的センスがことに光っていました。 モーツァルトを、三宅榛名さんは本当にひさしぶりに弾かれました。なにか空気の断面がきらきら輝くようなアマデウス。没後200年+1日目のヴォルフガンク。自作自演の2曲はエスプレッシーヴォな現代音楽として、すでに私などには耳に親しく、この夜も底からの力がうねりをあげて迫ってくるようでした。デニアの作品は、ジャングルの中にいるとこんな音がした、という風情の音楽。遊びもセンスも広がりもびっくりも、これは音楽の現代です。
お二人の即興のセッションがくりひろげられるとき、プログラムに寄せたことばを私が読むように、と当日いきなり決り、読ませて頂きました。戯歌のようなものですが、これでサブタイトルの「音と動きと詩による時空間」が駆け足で完成したわけです。
野田燎さんは作曲家、サックス奏者。3度目のサロン来演になりましたが、かねてから、奏でられるサックスの響きに魅せられ、音楽のことや現代の芸術および芸術家のありかたについての対話をかさね、ついにこの日バッハ・シリーズに出演して頂くことになりました。
まず音。フルヴォリュームのすごさ。どこまでも貫き通す芯の強い澄んだ音をもち、あいまいさや馴れなどは微塵もなく、音が音として生かし切られていく時間は緊張に満ち、しかも豊かな楽しみさえ溢れるものでした。 たとえばどなたでもご存じの「アリア」は、ふつうは弦楽合奏でしずかに、あるいはひそやかに瞑想的な音楽として演奏されますが、この日のサックスは弱くてmfを保ち、堂々たる逞しさをもって奏でられました。息の長さに支えられた、風圧さえ感じさせるフレージングの強靭さは、肩幅の広い真昼のバッハ像として面目を一新したのではないでしょうか。 自作自演の諸曲も、新鮮な「インベンション」のおもしろさと、現代の音楽のはげしい響きの語りかけがあり、コンサート全体を通じては古典と現代がぶつかりあう、狙いどおりの夜になったと思います。後日、野田さんのサックス・リサイタルのシリーズが始まることになりました。このコンサートは、だから同シリーズの第1回ということにもなりました。
ふうのかい、と読みます。新人の初々しい気のみなぎる演奏会。野田燎さんの薫陶を受けた若者たちの未来に乾杯。
サロンで「フーガの技法」をファンの皆様にお聴かせしたいと、ずっと考えていました。なぜならこの曲を愛してやまないからです。その思いはプログラムノートに記した通りですが、神戸在住の藤原晴美さんのご紹介で、わが国随一のチェンバロ奏者、山田貢さんをお招きできたのは望外の喜びでした。 山田さんは東京芸大楽理科卒業後、ウィーン・アカデミー並びにザルツブルク・モーツァルテウム音楽院に学ばれました。指揮法をヘルマン・シェルヘン(20世紀の音楽の推進者でもあったユニークな指揮者です)、チェンバロをイゾルデ・アールグリムに師事されました。
世の中では膨大な学殖がバッハ演奏においてはものをいう、ということはあるだろうと思います。しかし演奏される音楽が、素朴に切実に人間が奏でる音楽でなければ、学殖によりバッハの音楽は死にます。フェルマータが実は息つぎだった、となると猫も勺子もフェルマータが紋切り型の息つぎになってしまう。あの感動的な受難曲の歌において!
山田貢さんのバッハは、しかし、ひとりの人間がひとりで突きつめてこられた、この上なく純朴な心が卓抜な技術によって表されるものでした。「フーガの技法」を楽しむためには、少々の楽理の知識があれば更に妙味が増しますが、山田貢さんの「フーガの技法」は、まず何よりも人間が楽器を弾くよろこびに充たされていて(ドイツ語にムズィツィーレンということばがあります)、聴く側がかりに鏡面とか、反行とかというフーガの種類を知らなくても、充分にバッハを聴く喜びに心が震えるのをお感じになったことでしょう。 選ばれた楽譜は、未完の最終曲が唖然とするほどの巧さで完結されたもの。今度は折をみて「音楽の捧げ物」を最小人数の合奏でお願いできれば、と願っています。
京都市立芸大出身の五人と大阪芸大出身の河淵さんの、六人の若い音楽家が力を合わせたコンサート。プログラムが意欲的で気に入りました。
常森寿子さんは日本のオペラ界でコロラトゥーラを歌うソプラノの第一人者です。卓越した声の技巧に、人間の味がにじむ力と輝きがあり、かつて絶賛を浴びたルチアはもとより、アミーナもジルダもヴィオレッタもそれぞれの主役のいのちがそれぞれに生かしきられていく樣は、ちょっとやそっとでは耳にすることができないオペラ歌手の至芸がありました。打ち込んで下さいました。燃焼して下さいました。感謝で胸が充たされました。 こころからの歌。平凡なことばなのですが、滅多に聴いたことがありません。とくに西洋のオペラでは日本人の暮らしぶりとは違った環境の役を演じるわけですから、よほど想像力のある歌手でないと白々しく聞こえてしまいます。想像力とは他者への愛のことです。ここでは劇中の虚構の人物への愛のことです。そして愛はどんな困難さえのりこえることができるはずです。だから私たちが常森さんのステージに見たものは、ある種の奇蹟でさえあったかも知れません。
若本明志さんの声はものすごい力で場内狭しとばかり響きわたり、さすがにドイツ人の歌手に混じってヴァーグナーを歌い、いささかも負けず、のみならず絶賛さえされたわけです。久遠之宜さんのピアノは、はるかむかし法政大学アカデミー合唱団の定期演奏会で「光る砂漠」(萩原英彦作曲)などを聴かせて頂き、福永陽一郎氏の指揮ともどもとても繊細に音彩を生かしていく演奏に息をのんだ記憶があります。そのときのことを終演後お話ししたら、その瞬間旧知の間柄のような空気が流れてしまいました。コンサート全休を動かぬ岩盤のごとくしっかりと支えて下さったのは、久遠さんの敏感なピアノでした。
音川紘一氏は東京芸術大字ピアノ科、同大学院卒。ケルン国立音楽大学入学、演奏家資格試験に合格して卒業。ケルン、大阪、東京でリサイタル開催。豊富な演奏会のキャリアを持ち、85年から90年まで愛知県立芸術大学音楽部講師を務める。現在、神戸女学院大学音楽部教授。
ミヒャエル・バッハはラウンド・ボウを自在に操り、どんな難曲をも弾きこなしてしまうチェリストとして知られています。ジョン・ケージが彼のために書いたコンチェルトの初演を目前に控えての来日でしたがさすがに充実したコンサートになりました。大作曲家に技量を認められる、ということが揺るがない自信につながったのでしょう。あのラウンド・ボウのテクニックはたしかにアメイジングです。(といっても普通のボウで古典を弾いても、もちろんワンダフル。かのフルニエが持っていたのを譲り受けたマギーニは気品のある音色で、よく鳴ります)。 久保洋子さんの新作2曲については、作曲者自身のことばを引きます。 「オアシス」―いくつかの基音上の倍音列の組み合わせによる多彩な音の変化は、一種のファンタジックな世界をつくり出している。 「ユートピア」一自然と訣別して人間は本当に幸福になれるのだろうか。 「オアシス」も「ユートピア」も、なんてバナールなタイトルであろうかとも思われるが、空想の世界であると同時にそうあって欲しいと願う私の心の叫びでもある。
ミヒャエル・バッハからチェロの教則本が刊行されたから、と手紙が届きました。Michael Bach Fingrboads & Overtones(EDITION SPANGENBERG)というものですが、興味のある方はご一報下さい。98ドイツマルクです。
イヴ・アルトーさんはフランスの現代音楽の世界を代表するフルーティストです。びげもじゃの巨漢ですが、澄んだ目といい笑顔を持たれ、フルートを吹くために生れてこられたようにフルートの演奏がすばらしい。どんな難曲でもどこか明るく垢ぬけていて、パリジャンの粋というものを感じます。現代の超絶技巧を必要とする曲のみならず、現代音楽が巧い人は古典も巧いと私は思っていますが、イヴ-アルトーさんはライネッケもドビュッシーも、まるで彼のフルートのために書かれたかのように吹かれました。牧神とは、たしかに彼のような顔つきとからだつきを持っていたはずです。 近藤圭さんと久保洋子さんの新作2曲は、'92年1月23日にフランスのサン・ジェルマン・アン・レイで、今回の二人により初演されたもの。いずれも西洋と日本の感覚の葛藤があり、大きな岩に立ち向かう感じの力作。
すっかり定着し、芦屋と周辺のファンの皆様を大勢集める力をもつシャンソンコンサートも熟してきた感じです。12月はディナー形式の年一度のもので、それぞれに趣向をこらしたステージ。3月は再びもとに戻ってレギュラー・スタイル。別料金のドリンク付きシャンソンコンサートです。 石川功さんの歌にはいずれにも、研鑚とエンターテインメントの緊張、そして流れる汗を隠し通すダンディズムがみなぎり、舞台姿も独自のファッション・センスを磨きます。ひとつのことばの囁きのピアニシモ、あるいは唸りをあげたフォルティシモの、吐き捨て台詞の斬れ味の見事さ。
チェコスロヴァキアの若いヴァイオリニスト、ノヴォトニーさんは彼の祖国にとり忘れ得ぬ1989年12月の初来日につづいて2度目の来演です。彼やチェコの音楽家と親しい龍野順義さんの気概に感じるものがあり、このコンサートに協力させて頂きました。新作「ファンタジー」はノヴォトニーさんの依頼で作曲されたもの。ヤナーチェクを同国の作曲家のなかでもっとも評価する、というご意見は同感であり、龍野さんとお会いするたびにヤナーチェクの話をしています。新作はヤナーチェクの故郷モラビアの民謡や民俗楽器の響きなどの反映がある、というもの。ブラームス風の分厚い和声感がお好きと見受けられますが、ただし和声の使い方にひとことある作曲家です。
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1992年 8月 1日 発行 著 者 山村 雅治 発行者 山村 雅治 発行所 山村サロン
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